小説

『レーヴレアリテ』柿沼雅美(太宰治『フォスフォレッスセンス』)

 おじさんが歩道から歩道へ渡ってくると、横断歩道がないから人が来ると思っていない歩行者が、ギャッと声をあげて逃げたり、早足でおじさんを避けたりしている。それでもおじさんは、一年中何かに取り憑かれているように同じ行為を繰り返している。
 僕は退屈になって、ベッドにバフッと倒れ込んで目を閉じた。絵理香が今日は代休を取ると言っていたから、いつもよりも早く長く会えるはずなのだ。
 夢の中で僕は絵理香と待ち合わせるために家を出ていた。
 家の前の横断歩道の信号が点滅していたため、そのまま歩道を歩く事にした。後ろから足音がし、振り返るとすぐ後ろに起きていた時に見ていたおじさんが立っていて、思わず、ヒッとなった。息を殺しておじさんを見上げると、帽子の影で目元が見えにくくなっていた。口元は笑ったり、何か言うわけでもなく、10秒くらいそのまま立ち止まって、横断歩道でない道を渡って、すぐにまた僕のほうへ歩いてきた。
 あの、と僕は小声でおじさんに言った。これが夢だからこんなことが出来るのかもしれなかった。
 てっきり無視をするだろうと思っていたおじさんは、僕の声に気づき、返事をせずに僕の前で立ち止まった。
 あの、と僕がまた言うと、おじさんは、ん、というふうに口に力を入れているように見えた。
「なんでですか」
 僕が言うと、おじさんは、口を真一文字にして、上下の唇を擦り合わせるように動かした。リップクリームをつけたときに僕がやる口と同じだった。
「なんでずっとこんなことしてるんですか」
 外でこんなことをしているくらいなら家の中でごろごろしているほうがいいに決まってる、と思った。
 おじさんは、んんんん、と少し唸って。覚悟を決めたように僕をキッと見た。おじさんは優しそうな顔立ちなのに、目と口に力が籠っていて、それが顔を歪ませていた。
 「娘を探しているんだ」
 おじさんの声は少しかすれていた。僕が、娘? という顔で見返すと堰を切ったように話した。
 「10年前、このあたりで娘の行方が分からなくなった。まだ小学生で、普段からネコやイヌについていってしまうような子だった。その日も、なにか興味のあるものを見つけて、少し隠れたところに行ったのだろうと思っていた。しかし、何度名前を呼んでも、何日も探しまわっても、見つからないんだ」
 僕は、そうなんですか、と目を伏せた。もう見つからないような気がした。

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