爆笑から一転、怒号が飛びかう。怒声だけではない。皿が飛ぶ。杯が飛ぶ。騒然となった。いきりたつもの。嘲いだすもの。泣いているもの。狼狽えるもの。席をたつもの。人を呼ぶもの。どさくさ紛れに嫌いなやつを殴るもの。
「肝要なのは!」
大気の振動を肌で感じる声量に、その場のすべてが静止した。
立ち上がるものは立ち上がったまま。振りかぶるものは振りかぶったまま。その手から杯が落ちかちゃんと割れて、あとは何も聞こえない。
馮驩は続けて、
「肝要なのは状況に応じて適切な
怒鳴るでもないその声が、なぜか間近で大太鼓を打つかのように響く。腹にくる。
それでいて馮驩は高説をぶった気負いもなく、どころか合間、合間に手掴みで、料理を口に入れては食んでいた。
そのうち杯をひょいと差し上げた。
気づいた給仕の少女が駆け寄ると、あきれた男は注がれるのを受けながら、
「おわかりですか」
「え?」
「あなたに言っているのだが」
今度こそ一同は腰をぬかした。
威王・宣王の二代に仕えた名宰相の跡取りにして、その器量を怖れた実父に殺されかかった不世出の大器、戦国四君に数えられるかの孟嘗君は、まだあどけなさの残る少女だったのである。
しかし素性もあやしいこの男が、なぜ斉の国におけるシークレット中のシークレットを知っている?
「つまりこれが、観察ですナ」
馮驩は口のものを、ごくんと飲み込んで、
「皆さンの目線や仕草を見ればわかりますよ。真ん中に座っておられる御仁が、身代わりってことくらいはね。表向きには、それらしい影武者をたてておき、本人は思いもよらぬ姿で同じ場所にいる。成る程うまい手ですが、しかし気をつけられよ。あなたに懸想する狼がいるのはいいとして、趙や魏あたりの息がかかった者も、若干いるようですからナ」
図星だったか、その晩のうちに数名が出奔した。こうして馮驩は孟嘗君の食客に迎えられたのだった。