小説

『スキル』わろし(『史記 孟嘗君列伝』)

 窒息する思いで聞いていた門番は、仁義がしきたり通りであることを、認めないわけにいかなかった。
「ご丁寧なるお言葉、ありがとうござんす。申し遅れまして御免を蒙ります。仰せの如く、そちらさんとは初のお目見え。自分は斉の国を興隆させたる威王の庶子にして威王・宣王に仕えた田嬰の跡取り、ひと呼んで孟嘗君もうしょうくんに従います若い者、以後、万事万端、宜しくお頼み申します」
「ありがとうござんす」
「ありがとうござんす」
 互いにシャンシャン手を打って、めでたく馮驩ふうかんと名乗るホームレスかそれ以下の馬の骨は、ひとかどの親分と音に聞く孟嘗君の食客になったのだった。
 紀元前三〇〇年頃のことである。

 紀元前三〇〇年とはどういう時代か。
 まず当然だがキリスト生誕の約三百年前である。例えば当時のエジプトでは、かのアレキサンダー大遠征に従軍したプトレマイオスが独立割拠し、本国マケドニア相手にすったもんだと揉めていた。
 その西には、やがてマケドニアもプトレマイオス朝も征服してしまう古代ローマが、イタリア半島に勢力を広げつつあった。地中海の覇権をかけた百年におよぶカルタゴとの死闘が始まるのは、これより少し後のことになる。
 さて中国はというと、五百年以上も続いた春秋戦国もラストスパートにさしかかり、向こう正面の馬群を抜けて、有力馬が次々と最終コーナーをまわっていた。もっとも完走できるのは一着のみで、二着以下はもれなくリタイアというレースではあるが。
 そういうわけで、各地の群雄は生き残りをかけて、優秀なスタッフを必死に求めていた。君主だけではない。粛清あり下克上ありの戦国時代、主従ともども、いつ寝首をかかれるか知れない物騒な時代を生き抜くために、王侯貴族から宰相大臣、軍閥、豪族、はては町の親分に至るまで、誰もが人材を掻き集めていたのだった。
 孟嘗君もそんな弱肉強食を生きるリクルーターのひとりである。

 行水をつかい、衣服をもらって、散髪まで世話になり、小ざっぱりとした馮驩は、晩餐の宴で孟嘗君とお目通りの運びとなった。
「馮驩どのと仰られるとか」
 上座に座った恰幅のいい中年男が切り出した。彼が孟嘗君だろうか。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14