小説

『スキル』わろし(『史記 孟嘗君列伝』)

 食客たちの顔に安堵が広がり、むくむくと自信が蘇っていく。背筋が伸びて、すぼめていた肩が張り、顎が突き出る。ある者が冠のずれをなおして、ゴホンと咳払いをした。そ、そうですな。いや我らとて故郷は違えど一度は斉に身を寄せた者共、雌伏の間も絶えず行く末を憂慮しておったのです。こうして再び叡智が結集したからには、いかなる危難も顧みず、粉骨砕身、微力を尽くす覚悟でございますぞ。ゴホンエヘン。

 孟嘗君はぶんむくれてやって来た。
 馮驩はといえば、窓辺に長々と寝そべって、所在なげに空を見やっていた。することがないと大概こうしているのだが、それにしも、よく寝ている男ではある。
 その姿を認めるや、孟嘗君はずしずし足音をたて、鼻息も荒く傍らに正座した。
「や、皆さん、元気でしたか」
「ちゃんと帰ってきてくれたお礼まで言いましたからね。誰かさんのご指示通りに!」
「これはどうも、おかんむりですナ」
「当たり前でしょ。いちばん辛い時に、さっさと逃げちゃった人達なんて。大っ嫌い」
「ま、ま」
 馮驩は苦笑いして、
「彼らは見識という特技スキルを切り売りして世を渡るのです。切り売りする相手がピンチとなれば失職というわけですから、さっさと離れていくのは道理でね」
「だからって」
「例えるなら、そう、蝶や蜂。花が摘み取られれば別の花畑を探しにいくでしょう。今回、摘まれたと思った花がまた咲いたんで、舞い戻ってきたわけですナ」
「あたし、花?」
「そう。花」
 わかったような、わからないような。何だかどうでもよくなった。
「ねえ、馮驩」
「はあ」
「なんで馮驩は逃げなかったの?」
 さっきまでのぶんむくれはどこへやら。疑問符をいくつも頭上に浮かべて、のぞき込む邪気のない顔が、息のかかるほど近い。

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