小説

『オリザに灯る火』清水その字(宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』)

「そうだ、大博士とペンネン技師が話しているのを聞いたことがあるね」
「何と?」
 思わず局長の方へ身を乗り出し、言葉を一つ残らず手帳に書き込むべくペンを構える。彼は紅茶を一口飲んでほっと息を吐き、ゆっくりと語ってくれた。
「ブドリ君をカルボナード島へ残して引き上げたとき、彼を無理やり船に乗せて連れ帰ればよかったと後悔した。でも、それでは彼は幸せじゃなかったのだろうね。彼は自分を生かすため、青空の風になったのだから……」
 聞き取った言葉を速記文字に変換して手帳に書き込む。同時に私は、意味を測りかねる言葉に首をかしげた。グスコーブドリは最初から死を覚悟してあの大事を成し遂げたはず。自分を生かすために、とはどういう意味なのだろう。
 そのとき、これまでじっと話を聞いていた先輩が口を開いた。
「ブドリさんは大博士に、こう言ったそうですね。『私のような者はこれから沢山できる。私よりもっと何でもできる人が、もっと立派に美しく仕事をしたり、笑ったりしていくのだから』……と」
 有名な言葉だ。クーボー大博士が「君の仕事を代われる者はいない」とブドリと引きとめたとき、彼は毅然としてそう答えたという。しかしクーボー大博士があまりブドリのことを語らないため、これは誰かの作り話ではないかという説も囁かれている。
「あの話は本当のことなのですか?」
「本当だ。うん、あれは他人の創作などではないのだ、うん」
 何度も頷きながら、局長は答える。手にしたティーカップからは紅茶がもうなくなっており、雑用の少年におかわりを頼んだ。少年が台所へ行くのを見届けると、彼は私たちへ視線を戻した。
「ずっと前、若い者が行き詰まったとき、大博士がそう言って励ましてくれたと聞いた。間違いない」
 ペンを走らせる私の隣で、先輩もまた何度も頷きながら話を聞いていた。
「そして火山局の若い技師たちは皆、ブドリが言ったのは自分のことだと信じて頑張っている」
「彼らにも話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、良いとも。せっかくだから、火山局の中をいろいろ見ていきなさい」



 その後、我々はもう一杯紅茶を頂いてから、局長の案内で火山局の技師たちに話を聞いて回った。年若い技師たちは局長の言ったように、グスコーブドリの言葉を胸に刻み、情熱を持って仕事に励んでいた。

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