小説

『シャーロットの日記』朝蔭あゆ(『浦島太郎』)

 その時、遠くから声がした。
「いけない、お母さまだわ」
 小さなシャーロットが、はっとしたように家の方を振り返る。
「アリス、ありがとう。また来てね。きっとよ」
 それだけ言い残すと、小さなシャーロットは握っていた私の手を離して駆けていった。
「シャーロット!」
 また声が叫んだ。今度は、どうも聞き覚えのあるような声だ。怪訝に思って私も家の方を振り返ると、突然めまいに襲われるように、ぐにゃりと景色が歪んだ。
「シャーロット、もう、いつまで眠ってるの。帰るわよ、起きてちょうだい」
 はっとして体を起こすと、ママが私の前に仁王立ちしていた。場所はといえば、すっかり夕暮れ時の、おばあさまの部屋である。
「ちっとも片付きやしなかったわ。残念だけれど、お葬式までにもう一度来なきゃね」
 どうやらママは、私が眠っている間に教会まで行って葬儀の予定も決めてきたらしかった。
「ねえ、ママ」
 まだぼんやりする頭で、私はママに言った。
「おばあさまのお葬式まで、私、ここに住んだらだめかしら」
 私の唐突な申し出に、ママは目を丸くした。
「どうしたの、一体」
「どう、ってことはないんだけど」
 私は言葉を探すようにして俯く。夢の中で、あるいは幻の少女に会ったということは、なぜだかママに言うべきではないような気がしたのだ。
「夏休みの、ちょっとした旅行の代わりよ。その間に少しずつ家の中も片付けておくわ」
「でもねえ」
 ママは眉根を寄せてため息をついた。
「亡くなった人の家に、若い娘がひとりでなんて」
「私にできる、唯一のおばあさま孝行なのよ」
 私がそう言うと、ママは難しい顔のまま視線を逸らした。孫娘を最後まで会わせなかったことを、ママは後悔している。そんなことだろうと知りながら、私はずるいことを言ったと思った。
 それでも私は、もっとこの日記帳とともに眠りたかった。小さなシャーロットに、水車を作ってやりたかった。そうだ、あの子は、ひとりぼっちだと言った。

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