「それは嫌だ。嫌なんだけど、私のことよりもケンジのことを優先してほしいわけ」
「でもミカのこと放ったらかしにしてたら怒るよね？」
「そうだね」
「あの、さ。疲れるわ、ミカといると」
「え、まじ？」
「まじ」
「どれくらい？」
「たぶん、ミカが想像してるよりも」
「もしかして、このまま、別れ話になる流れ？」
「いや、明日早いし、今日はやめよう」
「今日は、なんだ。そうだね、やめよ。喋り過ぎたからお腹へっちゃった。冷蔵庫にきびだんごあったはずだから、持ってくる」
賞味期限切れの納豆やいつのものだかわからないヨーグルトが詰まった冷蔵庫だった。そのなかの、とても見やすいところにきびだんごがあったので、私はそれをミックスチーズの後ろに隠した。
「あ、私、学校に忘れものした。とってくるね」
ケンジの返事も聞かずに、私は家を飛び出した。まだリクルートスーツを着たままで、ペンキまみれのコンバースを履きながら、マンションの階段を駆け下りていった。
何階分も階段を降りたとき、ワンサイズ大きいコンバースが片方脱げて、後ろからケンジの声がしたりはしない。私を追いかけてきたりはしない。私が学校に忘れものをしたと素直に思っている。
部室にはサキと名前の知らない女の子がいる。ふたりでこたつを囲んでいる。とてつもなく髪が長いから、ラプンツェル科の女の子だということはわかる。髪の色が同じだから、今日タクシーに使わせてもらった子かもしれない。さっき部室にいた子かもしれない。そうじゃないかもしれない。その子は髪の毛でなにかを編んでいる。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
ラプンツェル科の子の髪は海のように広がっていて、船みたいなものが浮かんでいた。黒い船だった。どこに向かうの？
「さっきまでミカの継母の子と姉の子がきてたんだけどさぁ、合わなかったんだ」
「あ」といって私は片足を髪でできたパンプスに合わせていく。