111
耳をすっぽり、風とか海の表面に包まれたみたいな、あるいはなにかが強く燃やされているみたいなごごごという音がして、光が近づいてくるのになかなか闇から抜け出せない。唇はめくれ、無数の風の壁を通る度に乾いていく。絶え間なく乾いていく。首の皮や頬は空気に押されて左右に伸び広がり、ピザ生地のようにゆらめいている。切断された綱が、曲がったカミナリのような音と力を持って、触れるものを跳ねのけていく。たくさんの蜘蛛と、白い糸がほのかに浮かぶ。蜘蛛は落ちながら糸を出し、織り、パラシュートにしてまた浮いたり、綱をたぐって追いついてきたり。眼と歯。笑ってるみたいに見える。おれは悲鳴を上げている。
477
つむじはもう見えない。カメラがあるみたいに上からの視点を想像してみても、僕のつむじしか見えないが、僕は自分のつむじを見たことがないし、もう暗やみのなかに入ってしまったので、なんにも見えない。暗視カメラなら見えるんじゃないかと思って、そうしてみると、僕は緑色っぽくぼうっと光っていて、その色はゾンビみたいだ。死体みたいだ。カメラが動いて、僕の隣にくる。僕はひたむきに綱を登っているように演じようとするが、不慣れなカメラを意識して、うふふと笑って、それはホラーだ。カメラはアップになり、綱をぎりぎりと握る手元を撮る。滲む血が、緑色のなかで赤くはなく黒っぽく見える。そこに、黒い蜘蛛がくる。カメラをひいたら小さいが、ひかないので大きい。脚は綱のささくれに混じり合い、眼がきらきら光っている。僕は蜘蛛を気にしないようにするが、頭のなかにいるこいつは大きく、噛まれたら痛いだろう。蜘蛛が近づいてきて、僕は頭を左右に振って、そいつを落とす。だが、次の瞬間には僕の真横に蜘蛛がいる。僕もいっしょに落ちている。綱も、蜘蛛も、僕も。
083
手を痛めたら小説書けないなぁ、と思い、脚をカエルみたいに曲げながら使って登っていると、途中から真っ暗やみになり、おれは本当に登っているのだろうかと思う。実は少しも登っていなくて、同じ場所でもがいているだけなのではないかと思いはじめる。自分では努力しているつもりが、傍から見るとぜんぜんそんなことはない。つもり、というポーズに満足してしまっていて、自分が今どこにいるのかが見えなくなってしまう。いや、本当は自分でもわかっているのだ。自己満足の底が浅すぎることくらい。わかっていて、それを認めようとしない。認めて、心地いい幻想が消えることがこわい。最初から落ちているのに、嘯いた分だけさらに落ちないといけない。いま、おれは落ちているだろう。
064
汗が口のなかに入って、僕は苦みばしった顔になる。精子だけじゃなくて、汗も苦かったのだ。じゃあ、たぶん、鼻くそも苦いし、垢も苦いのだろう。フケも苦いし、血も苦い。僕の血を舐めた蜘蛛が苦さで死んで、綱が切れた。