しばらくすると数えきれないほどの死体が浮いてくる。仰向けに浮いた私は胸の上に手を置いていて、そこに都合よく『イソップ寓話集』が握られていて、もう片方の手には万年筆と原稿用紙が握られている。さらにおそろしいほど都合がよいことに『イソップ寓話集』が風ではためいてこの作品の元作品である「人殺し」が載っているページを開き、原稿用紙もはためいてちょうどまさに今、この文字列があらわになる。と、そこにアキラとテツオが現れる。どうやってこの場所を知ったのだろうか。ヒトシのダチでスマホのなかに超エロいのが入ってるアキラと、なんの特徴があるのかわからないテツオである。このふたりは私の頭のなかのパチンコ屋で今日の午後ヒトシと会ってあいさつ代わりに肩を殴り合っていた気がするが、私はそのことを書いただろうか、書いていないだろうか。わからない。そしてもっとわからないことにはふたりはヒトシの死体を支えている。というか本当に死体だろうか。私がそう想像しただけで本当に死んでいるのだろうか。ほら、死んでいなかったようである。私はヒトシが死んだ体でずっと書いてきた手前ヒトシを殺しにいった方がいい気がするが私だって死んでいるのである、河のなかで。ヒトシとアキラとテツオは今後どうするのだろうか。もう私にはわからない。規定の文字数はもう終わろうとしているから三人のその後を書く余裕はないのだ。さっきからあなたぶつぶついって、どうしたんですか? と妻がいう。えっ、ひとりごといってた? と私は返事をする。えぇ、いってました。ほら、コーヒーが入りましたよ。妻はいつも私にコーヒーを入れてくれる。優しい妻である。おぼんの上にふたつのコーヒーカップがのっている。今は夏だが私はホットコーヒーしか飲まない主義だ。もう原稿が終わるから、いっしょに飲もうか。私は灰皿にたばこの灰を落としながらにっこりとほほ笑む。あら、明日は台風かしら。と、妻がつまずいてコーヒーカップが宙を舞う。うつ伏せに倒れた妻の後頭部にコーヒーがかかって、妻が湯気を立てながら悲鳴を上げてのたうち回る。私はショックのあまり声も出ない。原稿用紙がコーヒーでべちょべちょになっているではないか。怒りでわなわなと震える手に万年筆を持って立ち上がり、妻を見下ろす。