小説

『人殺し』大前粟生(イソップ寓話集『人殺し』)

 私が振り返ったところ彼女たちは上記のような人物に見えるし目の前を走っている男女の会話を聞く限り女の弟がヒトシで男がふたりの隣の部屋に越してきてそれでヒトシをうっかり殺してしまったというようなことがわかるし、男がベランダに干してあった女のブラを見て無表情を装いつつも内心ではとても興奮していたことがわかる。いや、わからないか。と疑問に思ってしまったのでついうっかり頭のなかの景色に今本当に私の目の前にある原稿用紙がちらつきどこかでセミが鳴いているが、それは男の声でかき消される。
 さっきからずっと過失だっていってるじゃないですか! 僕は弟さんをベランダから落とそうなんていう気はまるでなかったんですよ。ついうっかり頭があたって。
 ついうっかりでヒトシがベランダから落ちたりするもんですか! あの子はサッカーするとき前の方にいるのよ。それが後ろの方にいそうなあなたの頭がうっかりあたったからって落ちないわよ。もっとこう故意に、あなたが頭突きしてヒトシを突き落したのよ!
 なんで僕が、今日あったばかりの人を殺さないといけないんですか?
 それは私がヒトシに殴られていたからでしょ? それであなたは私を助けたら私とやれるかもしれないと思ってヒトシを懲らしめようと思ったんでしょ。気持ち悪い! 他人の趣味趣向にいちいち口出さないでよ!
まぁ、なんてこと、他人の性癖に口を出すなんて、と隣を走っていた私の妻がショックで失神する。倒れて道路の敷物となった妻をヤクザや警察官やその他あれこれの人が踏んでいく。妻は死んでしまった。振り返ると人の群れは大きさを増している。どうしてそうなったのかサンタクロースやサンタクロースのコスプレをした若い女たちがいるものだから彼らを追いかける子どもたちや男たちがいて、それを追いかける人がいる。ハロウィンではないのにどうしてかヴァンパイアやゾンビもいる。ゆるキャラもいる。今もまただれかの肩がヤクザとぶつかって、集団にまたヤクザが加わる。つらい。
 どれくらい走ったのだろうか、ヒトシを殺した男とヒトシの姉と私たちは河のほとりにやってきた。男は途中で一度振り返ってギョッとし、そこからは遺族から逃げているというより得体の知れない集団から逃げているという感じである。いや、私たちもだれかの遺族であるわけだが。と、繁みのなかから狼男が飛び出してくる。男と女はおそれて河の岸に生えている木の上によじ登った。そしてそこに隠れていたが、私がそれを見ていた。私が木に登ったので私を追いかける人を追いかける人を追いかける人――延々と続く人のかたまりが大蛇のように木を登ってきている、というか木が重みで倒れようとしているのを見たふたりは河のなかに身を投げた。といっても、それで死ぬわけではない。だが死ぬ。男は女に首を絞められて死に、女は河のなかでワニに食べられてしまう。ワニはついでに明日の晩ごはんにするつもりなのか男の死体も引きずって河のずっとずっと深いところへ泳いでいく。そのワニを私たちが追いかける。

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