小説

『APPLE SOUR』月崎奈々世(『シンデレラ』『白雪姫』)

5、ガラスの靴はいらない

 舞踏会当日。私は魔法使いにドレスとガラスの靴を借りて、舞踏会へ行った。そして王子様と踊り続けた。王子様のことは好きだ。でも、もっと大事なものがあると気が付いてしまったのだ。私はこれから、自分の手で人生を変える。だから、彼の手に触れられるのも、今日が最後かもしれない。そう思いながら、ラスト・ダンスを踊った。
 午前零時の鐘が鳴る。いつも通り、王子様が階段まで追いかけてくる――ここが物語でいちばん重要な箇所。ガラスの靴を片方落とすシーンだ。
 でも、私は階段を降りる途中、立ち止まってガラスの靴を両足とも脱ぎ、それを両手で持った。王子様は息を切らし、いぶかしげに私の様子を見ている。
 そして私は精一杯の笑顔で、
「……いつか、またお会いしましょう」
 こう言って、ガラスの靴を勢いよく大理石の階段に落とした。靴は、音を立てて粉々に割れてしまった。白雪姫とはじめて会った日に見た水しぶきと同じように、破片はキラキラと輝いていた。

***

 午前一時。舞踏会で着たドレスはぼろぼろの服に戻り、足元は裸足のまま、私は家には帰らずに湖のほとりへ行った。月明かりはやさしく水面を照らしていて、昼間とはまた違う美しさだった。
「シンデレラ。あんたが来ると思って待ってたべ」
 原っぱには白雪姫がいた。気丈に振舞っているけれど、声は少し震えていた。強がりだけど意外と怖がりの彼女が、こんなに静かな暗い場所で待っていてくれた。そう考えると、私は涙が出そうになってしまった。
「私も、白雪姫さんが居ると思ってここへ来ました」
 小さな声で言うと、白雪姫は、「以心伝心ってやつ?超ウケる」と言い、プシュっと缶を開け、私にそれを渡した。りんごの匂いが鼻をかすめる。
「新しい人生の幕開けにカンパーイ」
 空々しいほどに明るい声で、彼女は言った。

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