小説

『こんにちは、世界。』二月魚帆(『貉(むじな)』)

 よく通勤の行き帰りに寄っていた、オレンジを基調としたコンビニのアルバイトだった彼女。コーヒーの懸賞のシールを集めている話を初めてした時からなにか買う時には必ずひと言、いや。ほんの少しだけどそれ以上話をすることが多く、僕の生活の潤いになっていた。ポイントカード渡す時に指が触れたら「ごめんなさい! 触っちゃいましたね」っていちいち謝ってくれるのような女の子だ。僕としてはそれらだけで、もうなんだか脈があるように思えてしまってつい、口から「す……好きなんですよ、あなたが」とまろび出てしまった。彼女は「えっと……五百円になります」とぎこちない顔で言うだけで、僕は黙って五百円玉を将棋の王手をかけるように置き、レジ袋の取っ手を引っ掴んでコンビニを出た。
 本村から言わせれば「そういう時は、まずご飯でも行きませんか? とか告白するまでに前提条件がもっと必要だろ……なんでそんなことでいけるって思うんだよ。お前普段どんな論理で恋愛の構文書いてんだ」ということらしい。本村はまあまあ顔が良く、まあまあ女の子を渡り歩いているだけあって、現実という重たさを感じる言葉だった。

 そんなことがあったので通勤時に便利だったあのコンビニにはもう寄れないし、一緒に来た本村がお洒落なカフェバーで女の子の間をすいすい泳ぐ間に、僕はここでじっと、自分に飲めそうな甘い酒を注文して舐めている。

 でも奇跡的にあの後うまくいったところで、僕は彼女との間に会話を成立させる自信はない。会社の新人歓迎会でも新人の女の子から「高橋さんは、なんか趣味とかあるんですか?」って聞かれて「ああ、漫画読むのとか好きだけど」って僕は一応言う。それで一旦相手の顔がぱあっと輝いて「なに読まれるんですか?」ってにこにこ顔でまたボールを返されて、ワンピースとか進撃の巨人とかゴキブリと戦う漫画とか華やかなことをを言って欲しそうな顔してるなあって思いつつも、それらを読んだことがないからやっぱり「つげ義春とか……味わい深い」って言ってトーテムポールの真ん中くらいにありそうなぽかんとした顔を相手にさせるのだ。そして彼女はどこかに移動して行ってしまう。
 どうせそんな感じになってしまう。家に帰ってから、じゃあ僕の何を言えばよかったのか、脳をぐるぐるさせて終わりだ。

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