小説

『蜜柑の雨』柿沼雅美(太宰治『蜜柑』)

 曲のリズムに合わせて振り付けをし、マイクを持っていない片方の手でお客さんを音に合わせて一人一人指差していく。音と音の合間、歌詞の合間を、決まったセリフのようにお客さんの掛け声が埋めた。
 アイドルはスカートをひるがえして、体を斜めに向けて立ち、マイクを持つ腕をもう片方の手で手拍子のように叩き、片方の手の人差し指をくちびるにつけてヒミツと歌って、人差し指で投げキッスをした。
 私は手拍子をしながら、空を見た。天気が良くて、雲はなめらかに流れていて、少しうるさい音楽もアイドルのはしゃぐような振り付けに合っていて、風の匂いは甘さのなかに果物のようなみずみずしさが加わっていて、気持ちがよくてしかたなかった。
 ぱぱんぱぱんと手拍子や曲とは違う音が聞こえ、見ると、ちゃんゆいが私の少し先の右側に立っていた。買い物をしたのかセレクトショップの厚手の大きな紙袋を2つ引きずるように持っていた。
 1曲が終わり、次の曲の頭が流れ始める。アイドルの一人が、まだまだ外は明るいですが帰る頃には綺麗な夕陽が出ると思います、そんな景色に是非この曲を思い出してください、「橙色の時間のあとで」と言った。
 少しゆっくりとしたテンポに合わせて、アイドルの子たちは足元に顔を向けて、切なそうにステージ上をフォーメーション通りに歩き、歌い出した。「そう僕たちは染まっていた まだ慣れない恋だとか見えない未来の話に まだ何も知らなくていい いつかの好きなドラマでは夕陽の丘もただ時間だけが過ぎていただろう 歩かなきゃいけない まわりはきっとそう言うね 時は止まれない でも僕らは心の声を聞き美しい世界を立ち止まって見られるんだ」と歌い、橙色の時間のあとで、というサビを言う寸前に、わぁぁ、と驚きを含んだお客さんの声が響いた。
 お客さんとメンバーが立つステージに向けて、まっすぐに蜜柑が落ちていた。私の下でお客さんは両手を上げてこちらを見上げ、アイドルの子たちはびっくりした顔をしながらも振り付けと歌を続けた。
 私のすぐ近くで、ちゃんゆいが大きなショップの紙袋を逆さまにして蜜柑をごろごろと落としていた。私は、あ! え? と思いながら黙って、ちゃんゆいがもう一袋を持ち上げるのを見ていた。

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