小説

『人形の夢』あおきゆか(『たれぞ知る』ギ・ド・モーパッサン)

 Sのような人間ですら、通じ合うものを求めずにいられなのは皮肉なことだ。どうせなら、人形のように生きていけないものなのか。

 ある夜Sは、いちばん気に入りの人形を抱き上げた。
 その子はとりたてて美しいというのではなかった。むしろ地味で平凡な人形だった。髪は無造作にひとつに結って片側でたらしているだけ。リボンもつけていない。素っ気ない白いとっくりのセーターに紺色の箱ひだのスカート、黒いエナメルの靴を履いている。いつからあったのかもわからない。
 けれど彼女はその人形がいちばん好きだった。ほかの人形はみなぱっちりとした目でまっすぐSを見返してきたが、その人形だけは遠くを見るような素っ気ない顔をして、こことはまるで違う世界に住んでいるように見えた。
 そのせいか、大好きなのに胸がざわついて長く見ていることができない。Sは彼女を人形たちのいちばん奥の列に立てかけていた。しかしその夜は、久しぶりにその子を抱き上げると一緒に寝床に入った。そんなことは子供の頃以来したことがなかった。人形はあくまで物質であって、添い寝しても空しいだけだと思っていたのに・・・。

 その夜、Sは人形が少女に生まれ変わる夢を見た。
 少女はいつもの遠い世界にいるのではなかった。魂の宿る目を持ち、紺色のスカートを翻し走り回っている。大きな木の根元に腰かけてほほ笑むSに、少女はにっこりとほほ笑み返してくれた。
 目が覚めたSは、隣にいる人形を見ないようにして寝床から抜け出すと、そのままアトリエに向かった。そして一心不乱に夢で見た少女の絵を描いた。
 仕上がった絵を画廊に持っていくと、いつもは見え透いた世辞ばかり言う店主が驚いたような顔をしている。
「いったいどんな心境の変化があったのです」
 店主は絵を見ながらたずねた。
「ええ、それが自分でもよくわからないんです・・・」
 その絵はガラスのショーケースにおさめられ、通り過ぎる人たちの足をとめた。まるでそこに少女が立っているように見えたから・・・。
 Sは自分の絵がうまくなったのではなく、少女が絵の中に現れただけだという気がした。

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