小説

『人形の夢』あおきゆか(『たれぞ知る』ギ・ド・モーパッサン)

「これは・・」
 Sはそう言ったきり、動けなくなった。
 そこにいたのは、あの夜に家の中をめちゃくちゃにして月明かりの中を歩いて行ってしまった女たちだったのである。
 しかし、彼女たちがあの人形だとすると、さっき見たショーケースの中の人形はいったいなんだったのだろうか?それに、さっき私を案内してくれたのは、あれは・・・。
 Sは後ろ手にドアを開けてこのまま逃げ出そうかどうしようか迷った。すると、左端に座っていた金髪の女が立ちあがって叫んだ。
「エヲカイテ」
「は?」
「エヲカイテ」
 女は、片言の日本語をくり返した。
 するととなりに座っていた女も立ちあがった。女は年はどうみても三十を超しているのに、おさげ髪に七五三のような振袖を着ている。
「えをかいて」
「絵を描いて、と言ったの?」
 女が頷いた。かつらのようにさらさらとした髪が揺れた。見れば女の手にはスケッチブックとクレヨンがにぎられている。Sが近づいて行くと、残りの七人もつぎつぎに立ち上がり、同じ言葉を叫びはじめた。
 えをかいて、エヲカイテ、絵を描いて・・・。
「わかった。描くから。ひとりずつ、ね?」
 Sはなだめるようにそう言うと、最初に立ちあがった金髪の女からクレヨンとスケッチブックを受けとって立ったまま絵を描きはじめた。
 もうずっと、何もかも忘れて旅をしていたのだ。画力なんてものはとっくに失くしてしまっていた。
 それはまるで幼子が自分の母親やお気に入りのおもちゃを描くように、つたない絵だった。それでも女は絵を描いているSを見て嬉しそうに待っていた。
 Sが描いていたのは人間の大人の女ではなく、人形の絵だった。別に意識してそうしたのではなくて、ただ一心に描いたら人形が現れただけだ。Sが描き上げたスケッチブックを女の手に持たせたとき、彼女はすでに人形に戻っていた。ひとり、またひとりと絵を描き上げ、ひとり、またひとりと人形になる。

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