小説

『羽化の明日』木江恭(『幸福の王子』)

「トーコ、怪我したの……?」
「ああ、これ、違うの」
 横、座るね。気だるげに溜息をついて、桐子は私の横に腰を下ろす。拳一つ分の距離に、もう二度と会えないかもしれないと思った桐子がいる。
懐かしさと安心にきゅっと高まった熱は、桐子の言葉で凍りついた。
「献血、してきた」
「献、血?」
 流れ出していく温かい命の流れ。潤いを失っていく白い肌。ついさっきまで私にへばりついていた、粘つく恐怖が蘇る。
「うん、ほんとはね、次の献血までに四週間おかなくちゃいけないんだけど、でも、裏技使っちゃった」
 力なく笑った桐子がポケットに手を突っ込み、折れ曲がって皺の寄ったカードを取り出した。
「こっち使った。お姉ちゃんの献血カード。初めて献血行ったとき、一緒に作ったの」
 桐子が目を眇める。
「トーコ、お姉さん、いるの」
「いた」
 吐き捨てるような口調。言葉の意味を捉え兼ねて私が黙っていると、桐子は見たこともないような皮肉っぽい笑い方をした。
「つばめは、世間知らずだね。狭い町だから、みんな知ってることなのに」
「トーコ?」
「お姉ちゃんは一年前に出て行って音信不通。お母さんは、私たちが小さい時に男作っていなくなった。お父さんは、家にはめったに帰ってこない。別に、お金さえ振り込まれればどうでもいいけど」
 不意に日が陰り、桐子の表情が見えなくなってしまう。
「みんな言ってるよ、あの家族はどうしようもないって。その家の最後の一人が私。私は要らないから置いていかれたの。これと同じ」
 影に塗りつぶされた桐子は、荒っぽい手つきでカードを尻ポケットに押し込んだ。
「だから、つばめのお父さんとお母さんが私のこと嫌ってても、それは別に」
「違う、トーコ、それは」
「いいよ、別に、隠さなくて」
 素っ気ない口調と裏腹に、その声は弱々しい。私はぎゅっと拳を握り締めた。

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