小説

『羽化の明日』木江恭(『幸福の王子』)

 今日の桐子は、午後からバイト。それまで図書館に籠ってから、駅前のマクドナルドでお昼を食べる約束をしている。真面目に課題に取り組む桐子の横で、私は机にぺったりと頬を付け、桐子の横顔を眺めていた。耳に突っ込んだイヤホンからは、桐子お気に入りのロックバンドのシャウト。
最初のうち、手ぶらで図書館に現れる私に桐子は本気で呆れていたけれど、一ヶ月後にはいなくなる私に課題を片付ける意味はないのだと気付いてから、勉強中は自分のipodを貸してくれるようになった。私は桐子の隣にいるだけでちっとも退屈なんてしなかったけれど、桐子の好きな曲を聞けるのが嬉しくて、それまで知りもしなかった沢山のアーティストのアルバムを片っ端から再生した。帰り道、あの曲がよかった、と感想を言うと、桐子は、私もあの曲好き、と答えて笑ってくれる。桐子は結構、激しい曲が好きみたいだ。
ふと桐子が私に視線をくれた。相変わらずやる気のない姿勢の私に苦笑して、私の片耳からイヤホンを抜く。
「退屈?」
 いつもは静まり返った自習室で私語なんてしない桐子だけど、今日は後ろの方に座った子供たちの集団がわあわあ騒いでいるおかげで、私たちの小さな内緒話は目立たない。
「全然。新しいアルバムを聞いていた、デビュー曲のリミックス」
「ああ、あれね。私は前の方が好き」
「トーコは、リミックスはあんまり好きじゃないね」
「そうかな、うん、そうかもね」
 ううんと伸びを一つして、桐子は机の上を片付け始めた。薄水色の涼しげなノート、シルバーの格好いいシャープペンシル。
「もういいの?」
「うん、あっち煩くて集中できないし。ちょっと早いけど行こう」
 壁の時計を見上げると。思っていたより一時間も早い。ということは、一時間も長く桐子と一緒にいられる。
「うん!」
 私は飛び上がるように立ち上がった。
 冷房の効いた図書館から一歩踏み出すと、外は肌が溶け出しそうな炎天下だった。住宅街を貫いて、日陰の無いアスファルトの道が延々と続く。

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