小説

『羽化の明日』木江恭(『幸福の王子』)

ふわりと体を持ち上げられ、木陰の藪に乗せられる。
 頑張って、大人になるんだよ。
 霞んでいく意識の向こうから、遠ざかる声と足音が微かに聞こえる。
 思い出したように全身の力を振り絞り、破れた羽を震わせようと試みるが、微かに痙攣するだけでまともに動きもしない。一度墜落した体は、もう壊れてしまったのだ。今更枝に戻されたところで、このまま惨めに命を終えるだけのこと。
何も変わらない。全て無駄なこと。
 けれど――ああ、どうして、こんなに満ち足りているのだろう。

 桐子、いつか思い出してね。
 蝉は七日で死んだりしない。みんなの言うことなんて関係ない。
 だから、誰に何を言われたって、桐子がそれを背負う必要なんかないんだ。
 桐子なら飛んでいけるよ。遠く遠く、どんなところにだって。

 日が落ちて真っ暗になったロビーのベンチに、羽化したばかりの真白い蝉の骸が一つ。
 少女は呆然として、震える指を伸ばす。爪の先がわずかに触れたその瞬間、白い体は呆気なく崩れ落ち、きらきら光る一握の砂に変わる。
 慌てた少女は鞄を引っかき回し、やっとのことで小さな袋を探し当てた。尻ポケットから取り出したカードをスコップ代わりに、砂を掻き集めて袋に移し替える。
 そして少女は、袋をそうっと胸に押し当てて立ち上がり、歩き出す。
 用済みの紙切れをごみ箱に放り込むと、少女は振り返らずに外へ足を踏み出した。

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