小説

『アコガレ』田中りさこ(『うりこひめとあまのじゃく』)

 女はテーブルに置いてあった紙ナフキンを手に取ると、ゆっくりとわたしのかかとに押しあてた。赤黒く擦り剝けたかかとは見るも痛々しいが、どうも他人の足のようで、痛みを感じないのは、どうしてだろう。
「寝な」
 わたしは何も考えられなくなり、テーブルに体を沈めた。

 目を覚ますと、ファミレスの大きな窓越しに空が白みはじめていた。腕を枕にしたせいか腕はしびれ、背中の筋がこわばっていたが、頭の痛みは引いていた。
 ヒールを履き直し、のろのろと立ち上がるわたしを女は何も言わず待っていた。
支払いの段になって、わたしは顔を白くした。何度もかばんをあさったが、結果は同じだった。
「どうしたの?」
「ない。お財布」
「落としたか、すられたね。入口のロッカーで荷物預けなかった、んだよね」
 女は語尾を小さく上げた。わたしは消え入るような声で言った。
「すみません」
「謝らないでよ。おごる」
「すみません」
 ファミレスから出て、女はすぐ聞いた。
「家どこ?」
「え?」
「ほら」
 女は無造作にポケットから一万円札を取り出して、わたしの手に握らせた。
「これだけありゃ、足りるでしょ」
「こんな、多すぎます」
「じゃあ、後でまた返してよ」
 そう言って、女が渡したのは、ファミレスに合った紙ナプキンだった。紙ナプキンに殴り書きされた十一個の数字。
 駅の改札口まで付き添われ、女は「じゃあね」と言って、去っていった。わたしはその後姿をずっと眺めていたけれど、女は一度もこちらを振り返るそぶりさえ見せなかった。
 わたしは帰りの電車の中でそのナプキンを何度も見た。夢のような昨日の出来事の現実の証として。
「名前聞いてない」
 わたしはぽつりとつぶやいた。

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