小説

『アコガレ』田中りさこ(『うりこひめとあまのじゃく』)

「見かけによらず、面白いこと言うね」
 女に褒められたことがうれしくて、わたしは熱も持って、喋り始めた。
「小学生二年生くらいの時だったかな。隣の席の男の子が人体とはっていう図鑑を見てたの。女と男の図解のイラストがあって、わたしはその男の子を椅子ごと突き飛ばしたの」
 そう、裸の男女が精密に描かれた図鑑の絵は、体の仕組みを解説するためのもので、別にエロくもなんともないはずのものなのに、わたしは顔がかっと熱くなった。気が付いたら、体が勝手に動いていた。
 泣く男の子と床に落ちた図鑑、慌てて駆け寄ってくる先生。きっとざわめきもあったはずだけれど、その瞬間は思いだすときはいつも無音の映像だった。
「へえ」
「わたしは怒られなかった。むしろ突き飛ばされて泣いている子の方が注意されて。わたしはというと、真面目な、いい子ちゃんだと思われた。本当は人一倍興味があったのにね」
「ふーん」
 女の淡白な反応を見て、わたしは言わなければよかったと俯いた。わたしはいつだって、後悔する。手元にあったウーロン茶を一気に飲み干した。
 女は言った。
「コンドーム事件」
 女の声が余りにはっきりと通るものだから、わたしはたじろいで、周りの反応を見た。酒の入った酔客たちはまったく気にしていない。
「分かる? 避妊具だよ」
 女はくいっと口の端を上げて、八重歯を見せた。
「中学生の時、コンドームを学校に持っていたんだよ。ほら、見たことある?みたいな、思春期のよくあるノリでね。そしたら、モノが先生に見つかってさ。当然のごとく、犯人捜し。わたしはすぐ名乗り出たよ。恥ずかしいけど、大騒ぎになった後からばれる方がもっと恥ずかしいし、面倒だからさ。そしたら、信じてもらえなかった」
 わたしは身を乗り出して、女の話に耳を傾けた。女は少し潤んだ目で遠くを見るようにして話を続けた。
「代わりに犯人扱いされたのが、久野ゆき。ちょっと家庭環境が複雑で、学校もサボりがちで、なんか悪ぶってるところのある子。親が呼び出されてさ。で、親も変わった感じでさ。赤ん坊背中にひっさげてさ、うちは避妊具使いませんって、響き渡る声で言った。あの後、久野ゆきは相当からかわれてたよ。でも思えば、その子んち、確かに兄弟多かったんだよね」

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