普段なら、初対面の男とのありえない距離間も、この空間独特の暗黙のルールによって、成立している。というよりも、顔と顔を密着させなければ、この音の支配する空間では、会話することもままならない。
「これ、おごり」
男がわたしの耳元に口を近づけて、言った。生ぬるい吐息がひどく気持ち悪かった。わたしはその嫌悪感をごまかすために、男から差し出されたこれまた何かよく分からない酒を一気に喉に流し込んだ。
早くこの男から離れたいとの思いとは裏腹に、肩に回された手を振りほどけないほど酔いが途端に回ってきた。
絶えず男の声が耳元で聞こえる。何を言っているかよく分からないけれど、わたしの体はその男にしなだれかかっていた。
引きずられるように一歩一歩進むたびに、地面がぐにゃんぐにゃんと崩れ落ちていく様だった。
「ちょっと。この子さ、わたしの連れなんだ」
ぼんやりとした頭の中で、その凛とした声だけは頭に届いた。
「本当かよ?」
男は疑わしげに問い返す。わたしは朦朧とした頭で、首を上下に振った。
「ねえ、お酒になんか混ぜた?」
女の鋭い声に男はたじろいで、ごみでも捨てるように、わたしをさっと手放した。
支えを失った体はぐらりと傾いた。わたしは腕を爪が食い込むほどきつくつかまれ、倒れることは免れた。
声の主は、人ごみを器用によけ、わたしを外に連れ出した。
爆音から解放されて、外の雑踏がまるでさざ波のように静かで心地よいものに感じられた。
茂みに座り込む若い女のことなどだれも見向きもしないで、足早に通り過ぎていく。この町では週末に酔っぱらって、羽目を外すことなど日常茶飯事なのだろう。
わたしは目をしばたたかせ、声の主をこの時初めて下から覗き込んだ。
ぴっちりと足のラインに張り付いているデニム、シンプルな白いTシャツから、へそがチラリとのぞいていた。わたしはその白い肌から慌てて目をそらし、女の顔を見た。
切れ長の目と真っ赤な唇が印象的だった。女はかがみこみ、わたしの顔を覗き込んだ。女の髪の毛先がわたしの頬を撫でた。