小説

『よひらの夢』葉野亜依(『紫陽花に纏わる言い伝え』)

 念を押すように、「ちゃんとやっておくんだよ」と繰り返し言って家の中に入っていった祖母の後ろ姿を見遣りながら、はあ、と草太は溜息を吐いた。
「ばあちゃんはがみがみ煩いから嫌なんだよなぁ……ああ、でも、それは母さんも一緒か」
全く。何で女って奴はどの年代も煩いんだろう。
「さて、さっさと片付けるか。またがみがみ言われるのも嫌だし……と、その前に」
 最後にもう一枚。
 紫陽花と立て札が写り込むようにして、シャッターを切った。
 これでよし、と満足げに頷いた後、草太も家の中に入っていった。

 
「……暑い」
 扇風機の風に当たりながら、ぽつり、と吐き出された言葉は酷く弱々しいものだった。
 祖母の家の夏の夜は、酷く蒸し暑かった。昔ながらの家にクーラーはない。涼を取るものと言えば、団扇か、あるとしても扇風機しかない。それだけで暑さを凌ぐのはクーラーを知る世代の草太には少し辛かったが、我慢できない程の暑さでない。寧ろ、夏の暑さは好きだった。
「あー、これはピンボケしちゃっているから削除だな」
 ぶつぶつと呟きながら、カメラを弄る。その日撮った写真をその日のうちに整理するのは、彼の日課であった。
 紫陽花ばかりが写っているもの。紫陽花と立て札が写っているもの。更には、祖母が写り込んでいるものもあった。
 一枚一枚確認して、気に入った数枚だけを残す。何十枚撮っても、最終的に残るのは数枚しかないということはよくあることだ。
 ごろごろと布団に寝転びながら、その作業を続けてどのくらいの時間が経ったのだろうか。
「そう言えば、結局あの立て札は何だったんだろう」
 紫陽花と立て札が写っている写真を見て、それについて祖母に訊くのをすっかり忘れていたことに気が付いた。
 立て札には『取っていってください』ではなく、『盗っていってください』と書かれていた。単なる書き間違えかもしれないと思ったが、祖母のあの言い方から察するに、それは考えにくい。
「まあ、明日ばあちゃんに訊けばいいか」
 ふわあ、と大きな欠伸を一つして、草太はそう結論付ける。眠くて回らない頭であれこれ悩むよりも、それが一番手っ取り早い。
 草太は部屋の電気を消して、枕元にカメラを置いた。そして、睡魔に逆らうことなくそのまま眠りについた。

   *

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