コワリョーフ氏は、今は額にとまっている右手をもう一度ゆっくりと撫で下ろそうとして、愕然とした。
(これは・・・どうしたことだ!鼻が・・・俺の鼻がない!)
コワリョーフ氏の顔の真ん中は焼きたてのパンみたいにつるつるになって、隆起もなければ穴もなくなっていた。
「どうされました?」
そのとき、頭の上で執事の声がした。コワリョーフ氏はとっさにポケットからチーフをとりだすと、鼻のあったところを隠した。そして、顔を少し上げて、低い声でこう言った。
「いそいで鏡を持ってきてくれ」
だが執事はその命令には従わなかった。ただ、その場に突っ立ったまま、コワリョーフ氏を見下ろしている。
「おい。聞こえているのか」
「聞こえてはおりますが」
その声には丁寧ではあるが、ほんの少し侮蔑的な雰囲気が漂っていた。
「鏡をご所望とのことですが、その前にあなた様のお名前をお聞かせいただきますか。失礼ながら、本日の会にお招きしたお客様ではないようですが」
「お前は自分の主人に向かって、誰だとたずねるのか?」
執事はこの言葉を冗談と受け取ったらしく、口元に軽い笑みを浮かべるとこう言った。
「ご主人様でしたら、あちらにいらっしゃいますが」
執事の指がさしたところには、タキシードを身にまといシャンパングラスを持った紳士が立っていた。コワリョーフ氏はうっかり顔を覆っている布を取り落しそうになった。その紳士の首から上にあるのは人の顔ではなかった。それは、巨大な鼻そのものだった。そして、その鼻というのは肖像画に描かれた鼻男だったのだ。
鼻男はコワリョーフ氏が勤める役所の上司と談笑しているところだった。上役は自分が話している相手がコワリョーフ氏ではなく鼻だと言うことにまったく気づいていないようである。それどころか、そこにいる誰もが絵に描かれたのはコワリョーフ氏であり、そこにいる鼻男が本人であると疑っていないようだった。
コワリョーフ氏は人々の前に出ていって、これは何かのインチキだと叫びたかった。絵の中にいるのも鼻なら、いま貴様たちが談笑しているのも鼻なのだと。ここにいる私こそが私なのだ、と。
だが、鼻をなくしたコワリョーフ氏はそこから立ち上がることすらできなかった。