小説

『鼻の居所』あおきゆか(『鼻』ニコライ・ゴーゴリ)  

 



 以来、かの屋敷には「鼻」が住んでいる。
では、鼻を失ったコワリョーフ氏はどうしたか?
 彼はあれから屋敷を抜け出すと一目散に絵描きの家に向かった。しかしそこはもぬけの殻であった。ほうぼう探し回ったが、ついぞ見つからなかった。
 つぎに彼が出向いたのは、警察署である。
 だが、いったい何と言って訴えたらいいのかわからない。絵描きに鼻の絵を描かれたのです、とでも?思った通りの絵に仕上がらなかったからといって、それは犯罪ではない。しかし鼻に自分を盗まれたなどと言うこともできない・・・。
 結局、警察署の門をたたくことはあきらめ、ともかくも安宿に身を潜めることにした。
一体どうしてこんなことになったのか。もしかすると、あの場にいた全員が示し合わせて自分を騙したのではないか。あの鼻はサーカス団の役者か何かで・・・。だが、いったい何のためにそんなことをするのか。
 そこのところは、いくら考えても答えは出ないのである。

 
 パーティから一週間が過ぎた。
 コワリョーフ氏は、朝飯を運んできた宿の女将に部屋代の取り立てにあっていた。
「まったく、いい身なりをしているから上客だと思って泊めてやれば、文無しときた。ねえ旦那、せめてご立派な外套だけでも質入れして金を工面してきてくださいな」
 コワリョーフ氏は生まれて初めて質屋というところに足を踏み入れ、女将に言われるまま外套と金時計を質に入れた。それで宿代を払い、鼻まですっぽり隠してくれる襟付きマントを買った。
 マントをつけてとぼとぼ歩いていると、通りの向こうから堂々とした紳士が歩いてくるのが見えた。それは鼻男だった。隣には見覚えのある若い娘が付き添っている。二人は夫婦のように仲睦まじく腕を組んで歩いていた。彼らの後ろからは、娘の母親が歩いてくる。
 

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