小説

『鼻の居所』あおきゆか(『鼻』ニコライ・ゴーゴリ)  

「うん、なかなかどうして立派だよ」
 彼らの口調には多少のお世辞は含まれていたかもれしれない。だか、驚きやとまどいは少しも見えないのだった。誰もが鼻の絵を褒め称え、互いに微笑み頷きあっている。
 一方、コワリョーフ氏は顔面蒼白になり、今にも倒れそうであった。ふらつく足どりで人ごみから抜け出ると、そばにあった椅子にほとんどくずおれるようにして座りこんでしまった。全身から力が抜け落ちてしまい、大理石の床はぐにゃぐにゃと波打っている。なんだか自分がひどく不完全な、物足りない存在になったような気分だった。
 考えてみると、絵描きはなかなか絵を見せようとしなかったし、仕上がりも遅かった。
(あの絵描きめ・・・)
 人々はまだ肖像画のまわりに集まってはしゃぎまわっている。主賓が抜けたというのに、誰一人気づく者はいない。
(いったいあいつらはどんなつもりであの鼻の絵を褒めているのだろう?)
 コワリョーフ氏は思案しながら顎に右手を当てた。
(これは突飛な芸術家がよくやる「暗喩」なんかとはまったく違うのだ)
 猛烈に腹が立ってきて、顎に添えていた手を、乱暴に撫で上げたり下ろしたりした。金髪の巻き毛がふわふわと動いた。
(立派な男の、紳士の、肖像画なのだ!いや、肖像画のはずだったのに・・・)
 そのときふと、右手に違和感を覚えた。いや、今ではない。今ではないが、たったいましがたのことだ。顔を撫でたとき、何かが足りなかったような気がしたんだが・・・。
 

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