小説

『蛤茶寮』水里南平(『蛤女房』)

 何を食べても、私が作る料理よりも数段上の味だった。出汁はいうまでもなく、塩梅が完璧なわけも想像はできる。しかし、材料の処理、火の通し方、料理が出てくるタイミングまで文句のつけようがない。
「どうして、肉までこんなにうまく焼けるんだ?」
 彼女が、私の横に立って微笑んでいる。
「気の遠くなる程の歳月を、料理に費やしてまいりましたので」
 そうだった。彼女の話を真に受けるなら、彼女は80歳を過ぎていることになる。
「歳はいくつなんだ?」
「女性に年齢を尋ねるなんて、失礼です」
と、屈託なく笑う。
 私は、店で出す料理すべてを彼女に任せることとし、2人でメニューの再考をした。

 数か月後-
 再会した店は、徐々にお客が増えていき、今では大はやりである。料理人を紹介しろというお偉い食通が現れたり、テレビや雑誌の取材依頼も何度かあったが、それらはすべて断っていた。
 ただ、ここで1つの問題が出てきた。
 彼女が、脱水状態になり、やせ細ってしまったのだ。体力も消耗しきっている。私は、一定期間店を閉め、その後は営業日を減らそうと提案した。が、彼女はそれを拒絶し、代案を出してきた。
「私の知人を、何人かお雇い下さいませ」
「その子たちも、君と同じなのか?」
「はい。ですので、私と同様にお給料は要りません。ただ、大きなお風呂を作っていただけないでしょうか? 私自身は今まで通り、大鍋で済ませても良いのですが……」
 私にとっては、好都合な話である。しかし、多分に後ろめたい気持ちになった。給料を払う余裕がない。今の経済力では風呂を作るのが精一杯であった。
 

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