小説

『長靴に入った猫』卯月イツカ(『長靴をはいた猫』)

ツギクルバナー

「父が危篤である」と、なんの心構えもないまま他人から連絡をもらい、病院に駆け付けたと思ったら、その日にあっけなくいってしまった。あまりのことに泣くことも出来なかった。

 数年前に母が亡くなってから、僕はほとんど実家には寄り付いていなかった。たった一人の肉親であるのに、父とはたまに電話で連絡をとるだけ。それも、「元気?」といった短い会話だけで、父の近況はほとんどといっていいほど知らなかった。
 僕の他には参列者のない、簡素な葬儀を終えた後、父の遺品を整理するため、実家に戻った。業者に頼んでも良かったのだろうが、金銭的に余裕があるわけでない。また、せめてそれくらいのことはしてやらないと、息子としてあまりにも情が薄いような気がする。一日やそこらで片付きはしないだろうが、とりあえず腐りそうなものがないか、確かめておかなければならない。

 実家は団地の二階にあり、部屋の扉を開けると少しかび臭いにおいがしたが、概ね片付いており、必要最小限の小さな家財道具が部屋を寂しく見せていた。母がいたころのものは、大方処分してしまったようだ。自分が死んだ後、僕に負担をかけたくなかったのかもしれない。潔く、他人に迷惑をかけることを良しとしない、実に父らしい部屋だった。

 僕は両親が歳をとってから出来た子供だ。僕が五歳の頃、母は流産している。そのため母は僕を過保護なくらい大切に育てたが、父は「そんなことでは立派な大人になられへん」と言って、僕にそっけなく接した。今になって思えば、あれも愛情の一種だったのだと分かるが、そのせいでこんなにも僕たちは疎遠になってしまったのだという気もする。
 

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