2001年9月11日の、決してフィクションではないはずの今までパニック映画のCGで見せられていたようなフィクションみたいな映像が、2000年問題では機械的な欠陥でもアンコントロールにならずにひとつも落ちなかった飛行機が、人間の憎悪にいともたやすくコントロールされた飛行機が、青空の中、高層ビルに突っ込むというロボットアニメのような映像が、テレビという箱の中のブラウン管にNYから送られてきた電波が映し出したフィクションじゃないそのリアルのドキュメント映像が、僕らがしこしこ作ってるバラエティ番組のためのフィクションじゃないと言い張るリアルなドキュメントロケ企画なんて、なんてちっぽけで、くだらなくて、作為的で、それこそフィクション=作り物なんだってことを一瞬で僕らに悟らせて、僕らの積み上げたそのテレビの中のドキュメントロケブームという虚構が貿易センタービルと一緒にガタガタと崩れていった瞬間に、まさにそれを見た人気構成作家と僕はその事実に愕然としてその映像の残像がずーっと頭にこびりついて会議を続けられなくなり、ずーっとずーっと夜明けまでテレビを見続け、そしてきっとその夜、その残像はきっとテレビで普段ロケバラエティを見ていた日本国民全員の頭にその作為的な欺瞞さや空虚さを一瞬でインプリントして、程なくしてドキュメントロケバラエティブームはこの国から消え去った。そんな31歳の夜明け前だった。