小説

『Still Before the Dawn いまだ、夜明け前』角田陽一郎(『夜明け前』島崎藤村)

その日は深夜ひとりで社内のデスクで領収書の精算をしていて、その当時タクシーの初乗りは660円で、この660円のタクシーの領収書、どこ行った時だっけな、全く覚えてない…もう精算あきらめるか、といちいち660円でもうんうん唸って悪戦苦闘してたら、その時突然テレビ画面に、ネット業界の話題の若手実業家が600億円でお台場の放送局買収とのニュース速報が流れ、その若手実業家とは当然面識はないのだが、実は大学の一年後輩で研究室は隣同士で、大学からずーっと、“フリとオチ”ばっかり考えていたら660円の領収書も切れないで悪戦苦闘してて、大学からずーっと“お金儲け”ばっかり考えていたら、600億円でテレビ局を買おうとしてるって、その600億円と660円の差にあまりに愕然とし、この差は一体なんなんだよ!って落胆してたら、今度はそんなネット界からの別の黒船が赤坂のお堅い放送局をも襲来するようになって、絶対だと思っていたテレビの世界は、人気番組を作れば天下が取れると信じていた天下は、実はなんて小さくて狭い世界だったんだと、そんな外圧で此の期に及んで突然気付かされ、ならばこのネットという黒船が本当に本当に夜明けのきっかけになるんじゃないか?って、だったら自分がやることは攘夷じゃなくて開国なんじゃないかって、でもそれはむしろテレビ界の古い自分たちが殺されるってことを意味するんじゃないかって、ネットのこともよくわからずそんな莫大な不安の闇の中でかすかな小さな希望が灯ったのが35歳の夜明け前だった。

 

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