小説

『Still Before the Dawn いまだ、夜明け前』角田陽一郎(『夜明け前』島崎藤村)

入社して一ヶ月の研修期間を終え、制作局でバラエティ制作を志望したのは、演劇をやっていた自分にしたらやはりドラマ制作を希望するのが常套なのだが、ドラマは助監督から監督になるのに5〜7年かかると聞き、一方バラエティは3〜4年でADからディレクターになれるよと聞き、ならばさっさとバラエティで出世してプロデューサーになっちゃえば、これはバラエティですって言い張ってドラマも作れるんじゃないか!なぜならバラエティって“いろいろ”って意味だろ?とか勝手に邪推し、一番激務だと言われるバラエティ制作部を志望したところ、念願叶って配属されたバラエティ現場はそれはもう予想通りというか予想以上にものすごく激務で、配属されるまでは体育会的“しごき”が辛いのだろうと予想していたのが“しごき”などはほとんどなく、むしろそれは文科系的に紳士的にドサっと降ってくるいきなり大量の事務作業、果てしのない夜明けの見えないコピー取り、収録テープ整理、ロケ場所探し、弁当配り、タクシー配車等等等、まさにその仕事の“責任”に殺される寸前で、当時まだ珍しかった携帯電話は組織の末端の新人ADには持たされることもなく、常に居場所を出勤ボードに書けと先輩達に怒鳴られ身柄を拘束されながらも、適当に“おつかい”とか書いては、常に会社で寝る場所を探していたし、それで更衣室で寝ていると循環している警備員にまるで乞食を排除するように排除され、確かに収録日にはそれまではテレビ画面で見ていたアイドルや歌手や俳優などの華やかな“芸能人”に会えたけれども、会ったら会ったでその“芸能人”はやっぱりただの人で、その興奮もやがては冷め、次第に“芸能人”はただの日々の取引先の相手に成り下がり、なんだスーツを着て営業回りするサラリーマンとなんら変わらないんだと1年経ってようやく気付きつつも、そんな収録現場では弁当を食べる時間すらもなく、トイレに篭って弁当をこそこそ食べ、挙げ句の果てには脱走し、連絡もつかぬまま実家に戻って近くの動物園で檻の中の猿をぼーっと見ながら、でも結局やめちゃった後でのさらなる闇を想像しながら、やがて先輩に説得され、また現場という檻の中にみじめに戻ったりを繰り返し、そんな休みもない闇の日々を猿のように過ごしながら、特に一番きついのがテレビ局舎から1キロほど離れたポスプロと呼ばれる真っ暗な独房のような編集室の中でキラキラ輝く複数のテレビ画面だけを見続けながら、後ろのソファーに寝そべりながら指をパチパチ鳴らして指示する先輩ディレクターの考え通りにひたすら画面に表示するテロップを猿のように入力する作業に明け暮れ、ちょうど出演者の喋り言葉をテロップでフォローするのが流行り始めた90年代半ばのバラエティ番組ではその作業時間はまさに三日三晩の不眠の編集作業になり、なんとか終わって完成したテープを1キロ離れた本社のマスター送出部に届けようと外に出た時、朝から始まって夜が来て朝が来て夜が来てぐるーっとぐるーっと繋がって三日目の朝の30時、いつの間にか夜明けが来ていたそんな赤坂の寒い冬の朝は、編集機器の放熱の暑さと編集室の暗闇に慣れた身体には殊の外冷たく眩しく、しかしその冷たい眩しさの中で、もしこの編集済みテープ届けないままドブに捨てちゃったら、いったいどうなっちゃうんだろうとか闇の想像を抱きながら、そして自分の汗臭い臭いに辟易しながら、まだ明けぬ自身の夜明けの中を1キロ歩いて放送テープをなんとか届ける、そんな24歳の夜明け前だった。
 

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