小説

『おばあちゃんのおせち』石川理麻(『鶴の恩返し』)

 12月30日。家族全員で大阪へ向かった私たちは、新幹線の中でずっと祖母の思い出話をしていた。
 私が子どもの頃、大阪の祖母の家の縁側で遊んでいたら、大きなニシキヘビが近づいてきた。ぎゃー!と叫んだら、祖母はその蛇をつかんでビューンと投げてしまった。空に向かってUの字で飛んでいくヘビを今でもはっきり覚えている。ていうか、あのヘビ、どこに飛んで行ったのか。
 弟は、「おばあちゃんさ、話が長い老人は面倒くさいって言っていたよね」と思い出し笑いをし出した。東京にいた私や弟は夏休みにしか大阪に行けなくて、祖父はそんな私たちをつかまえては延々と話す。内容は戦時中の話や、30年以上も前の高校野球の話。祖母は、祖父の部屋から出てこない私たちを心配してのぞきにきた。そして「いい加減、解放してあげな。老人の話ほどつまんないものはないんやから」と言ってよく祖父と喧嘩になったっけ。
 母は「おばあちゃんはね、近所のおうちに借金取りが来たとき『あんたらうるさいね、ちょっとこっちに来ぃ』とうちにヤクザを招き入れたの。そしたら、ヤクザの人たちが『度胸あるおばちゃんだな』っておばあちゃんのことを気に入って。近くに来るたびに遊びに来ちゃうもんだから困ったわよ。おばあちゃんもその人たちにお茶を出して楽しそうに話をしてね。変わった人よね」。
 父は母の実家に挨拶に行った日のことを思い出していた。「結婚させてください、って言いに行ったら無言でね。あの大きな目でしばらくじっと目を見つめられて。まばたきしないから怖かったよ」と笑った。
 そんな祖母が、おそらく一度だけビビった日であろう日がある。阪神大震災の時だ。明け方に大きな揺れが来て、祖母は押し入れに隠れた。祖父は天国だし、叔母夫婦は転勤でおらず、祖母はたった一人で大きな家にいた。
 地震から5分後、近所の若い夫婦が走ってやって来た、とだいぶ経ってから聞いた。ご主人は唐沢寿明さんに似ていると聞いていたので、私たちの間では「唐沢さん」と呼んでいた。親戚でもなく。昔からの知り合いでもない近所の若い男性。地震がおさまってすぐ駆けつけてくれたというからありがたい。東京にいる私たちは、そういう時にすぐに駆けつけられた試しがないから……。祖母は「あの夫婦は本当にやさしくて良い人たちだから。こっちに帰って来るときはお土産を買ってきて『おばあちゃんがいつもお世話になっております』って挨拶してね」といつも言っていた。
 

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