小説

『赫い母』つむぎ美帆(『子育て幽霊』)

 羽嶋郁美の名を見たのは、中学卒業以来、十八年ぶりのことだ。
 今でもどこか、彼女の存在に触れることは何か、自分の中では禁忌のような感覚がある。その名を聞いて思いを馳せるだけでも。だから、彼女の名を冠した展覧会に足を運ぶのには、ちょっと勇気が要った。
 彼女が絵描きになっていたとは知らなかった。この個展のポスターを見るまで。そのポスターも、たまたま行きつけの、会社の近くの食堂に貼ってあったのを見つけたのだった。彼女に絵の素養があったとは、あの頃は全く分からなかった。もっともどんな才能があったにしても、自分も含め、あの頃の同級生には気付けなかったと思うが。
 受付で入場料を当日値段で払い、会場の中に入る。
 静かな会場内に展示されているのは、静物画、人物画、風景画といった様々な絵で、特にジャンルを限定してはいないらしい。私には絵画の良し悪しが判断できるほどの審美眼はないので、単純にいろいろな種類の絵が見られるのを楽しんだ。ただ、それらの絵を見ながら、具体的に郁美を喚起させるものを感じはしなかった。その絵に郁美の人間性がどう反映されているのか、私には分からなかった。それは絵の知識に加え、郁美という人間のパーソナリティに関する知識が欠如しているからだろう。強いて言えば、彼女の絵はどれも原色に近い、はっきりとした色合いで描かれている。それが彼女の作風であろうか。
 やがて、鑑賞しながら歩いてきた私の目に、最奥の壁に掛かったひときわ大きな絵が映った。
 それは髪の長い女性の絵だった。何かを両腕で抱えて体を丸めている様を横向きに描いている。抱えたものはぼんやりと光に包まれているように見えるので定かではないが、赤ん坊の姿に思われる。女性と同じポーズで逆さまに描かれ、なんだか陰陽図に似た構図だ。ただ、その絵はひときわ「赤かった」。穏やかな女性の横顔には似つかわしくない、いっそはっきり不釣り合いなほどに激しさを帯びた、強烈な赤。それが微かにグラデーションを描きながら、薄い薄い炎の花びらのように、ほっそりした女性の体を包んでいる。
 私はしばらくの間、その絵から目を離せずにいた。
 何か予感がして、絵の下にあるプレートを見た。
『作品名:母』

 

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