小説

『赫い母』つむぎ美帆(『子育て幽霊』)

 修学旅行以来、私の郁美への意識も、ごくわずかにではあるが変わったような気がする。
親しくなった、というわけではない。ただ、声をかける時に変に緊張することが、前よりはなくなった。
同時に、いじめられる彼女に手を差し伸べないことに対する罪悪感のようなものが、小さいけれどはっきりと自覚されるようになった。
 罪滅ぼしというか、罪悪感を紛らわせるためというのか。彼女が困っている時には、さりげなく出来る範囲で、ではあるが、助け舟を出すようにした。彼女の教科書が行方不明になったりページが塗り潰されていたりした時は、隣り合った机の間に自分の本を置いて読めるようにしてあげたり。その程度だったが。
 たとえその行動が里衣子たちに知れたとしても、自分もいじめに遭うかも、という恐れはさほどなかった。修学旅行前だったらそういう懸念もあったと思うが、今はもういじめをしているのはクラスのごく一部で、受験勉強にのめり込む大多数はそんなことには無関心だろうと踏んでいたし、実際その通りだった。
 里衣子たち自身が私に何か仕掛けてくることはなかった。
 ただ、男友達の一人がある時――いじめに辟易して関わらないでいた一人だが、私にこっそり言った。
「羽嶋を可哀想だって思うんなら、あんまり構わない方がいいんじゃないか。道原ってお前に気があるから、お前が羽嶋を助けると、余計に羽嶋のこといじめるぜ」
 その彼の言葉が真実だったのか、里衣子が私に対して特別な感情を持っていたのかどうか、私には確証はない。言われてみれば、時々自分の席にいて、振り返った彼女と目が合ったことはあったが、それは私ではなく隣りの郁美を見ていたのだと思っていた。二度ほど、数学の課題の解き方を質問されたことがあったが、私が理数科目の成績がまぁ良い方だったから頼られただけだと思っていた。

 そんな中学生活も終わりに近づいた、ある冬の夕暮れ。
 放課後の教室で、私は、作文を書いていた。卒業文集に載せる作文だ。私は理数系は得意だが、文系が苦手で、特に原稿用紙をちびちびと埋めるような作業は人より劣る。教室には私しかいなかった。
 そこに、するりと扉から滑り込むように、郁美が入ってきた。
 人気のない教室に俺がいたのでちょっと驚いたのだろう、郁美は目を丸く見開いたが、それだけだった。修学旅行の時より伸びた髪が、吹きっさらしの風にあったように乱れていた。私も驚いたが、目が合ってしまって無言でいるのも変なので「よう」などと曖昧に声をかけた。郁美も「うん」と曖昧に返してきた。
「もう音楽鳴るよ」
 私の隣、つまり自分の机まで歩いてきて、郁美はそんなことを言った。音楽が鳴る、というのは、最終下校時刻を知らせる校内放送の音楽が流れるということで、つまりもう帰らなくてはならない、という意味だ。もうそんな時間だったかと、私は顔を上げ、窓の方を見た。夕闇がすぐそこまで迫っていた。
 

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