小説

『赫い母』つむぎ美帆(『子育て幽霊』)

 小さな町の中学校で、羽嶋郁美は注目の人物だった。
そして、孤独だった。
 中学二年の時に彼女の母親が起こした事件は、ニュースなどと普段縁のない退屈な田舎町に、充分以上の刺激を与えるスキャンダルだった。それまでの澱んだような平和のツケを返されたかのような、と言っていいくらいだった。私もまさか、こんな身近な場所で「殺人事件」なるものと遭遇するとは思ってもいなかった。
『2―Bの羽嶋の母親が、父親を殺した』
 クラス中に、その文言を唱える低いこそこそ声が蔓延した。やがてそこに、「殺された男は羽嶋郁美の実の父ではなかった」という情報が付け加えられた。男は郁美の母の「ナイエンノオット」であったらしい。そんなサスペンスドラマかニュースでしか聞かないような言葉が、急激に校内に広まった。彼女の実の父はといえば、亡くなったとか蒸発したとか、いろんな噂が流れたが、真実は分からない。そもそも事件が起こる前から、彼女は物静かな、休み時間も一人で本を読んでいるような子だったから、家庭事情などの個人的な話は誰もよくは知らなかったのだ。
 私もまた、羽嶋郁美とは大して面識はなかった。一、二年次はクラスが違ったし、部活動などでの接点もなかった。たまに図書室や教室移動の折に見かけるくらいだ。
 あの事件の直後は、校門の外でテレビの取材カメラがコメントを収集するために生徒を待ち伏せし、それに対して教員が生徒たちに「軽はずみな発言をしないように」と釘を刺すなど、常日頃にない物々しくも騒がしい状態がしばらく続いたものだった。当然、当事者に最も近い彼女の周辺の混乱は私たちなどとは比べ物にならないはずで、さすがに事件直後は何週間も学校を休んでいた。例によって不確実な情報では、親戚の家に一時的に避難していたらしい。
 そのまま転校するかと、誰もが漠然と思っていた。すべてが筒抜けになっているこの学校では、さすがに居辛く、いたたまれない思いをするだろう。
だが、事件の余波も収まってきた学年末の頃、彼女はひっそりと戻ってきた。これには学校中が驚いた。
 そして私は、三年生で彼女と同じクラスになったのだ。
 同じ教室で、ふとした時に目に入る彼女は、それまで何度か見かけた時と同じように、少しも目立つところのない、大人しい少女だった。ただ、本人が大人しくても、周囲の方で勝手に彼女の存在は浮き上がらせてしまっていたのだが。
 教員たちは、羽嶋郁美に対してはまるで腫れ物に触るかのように、勤めて当たり障りのない対応をしていたように思う。
「その子自身は悪くないんでしょうけど、遺伝っていうものがあるし、ねぇ……」
 進級して彼女と同じクラスになったことを知った母が家で、言いにくそうにそんなことをぽつりと呟いたのを覚えている。
 多分、父母会からは彼女の通学に対する苦情も幾つか出ていたのだろう。
 そんな中、一言も弁明することもなく黙って学校に通う彼女の目は、時にはきつい光を帯びて、横から飛んでくる好奇や悪意を断固遮断するかのように、前だけを向いていた。
 

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