小説

『プラネタリウムの空』中野由貴(『シンデレラ』)

 今ではないいつか、
 ここではないどこか、
 それは昔。
 私が憧れを持って暮らしていた東京。
 あのビルヂングは二十世紀の終りに老朽化のため解体された。今、その場所には超高層ビルが天をつらぬかんと建っている。そのビルをスクリーンに見立て、過去にあったビルや街並み、道路も走る車さえ、「昔」をよみがえらせている。ただ写しているだけではない。最新の技術は、あのビルヂング自身の破片と、空間のもつ記憶と、その建物に関わった人のイメージを増幅することで、ビルの中まで再現するのだ。
 風景だけではない。そこで働く人、往来するお客、本屋で売られている本も、洋食屋で作られる料理も、果物店で売られている果物の匂いもさえ可能な限り再現する。再現のためには、この場所の記憶をもつ参加者のイメージも大切な要素になる。参加申し込みをした時点で私は頭の中にある思い出を送るよう指示を受けた。
 私が行きたいのは、魔法みたいに科学の力で蘇るあの日の東京。でかけたいのは、あのビルヂングの地下街で、父と母と一緒に歩いたあの一日。

 東京で暮らしていた私のところにひょっこり両親が遊びに来た。一人暮らしをはじめた私を心配してとのことだったが、定年を迎えた父が、たいくつしのぎに母と東京へ遊びに行こうと計画を立てたのだろう。数日を親子三人で共に過ごし、いよいよ二人が帰るというあの日。
十二時四十五分発の新大阪行き新幹線に乗るにはまだ少し時間があった。それで家族で昼食をとろうと地下街の洋食屋でオムライスを食べた。
 私にとって丸の内の記憶は、東京駅からあのビルヂングまでの半径数百メートルに及ばない範囲だけ。なのに、ここほど私の心の中で広範囲に影響を及ぼしている場所はない。

…さあもう少しで到着だ。私は早足になる。

 

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