小説

『ふくらはぎ長者』薪野マキノ(『わらしべ長者』)

 茶色のバスが猛スピードで乗り場に入ってきて素早く扉を開け、おばあちゃんを飲み込んで去っていった。おばあちゃんは手を振ろうとしたみたいだったが、ふくらはぎから手を離せず、代わりに細長い耳をびゅんびゅんと振った。
 バスに乗り損ねてしまった。次のバスは四十分後だ。
 おばあちゃんの鼻のなかでは、なおも祈りと呪いとが続いている。呪いの方が声が大きい。このまま四十分も鼻を持ったまま座っていたら、おばあちゃんの変わりに呪い殺されてしまいそうだ。
 鞄がないので手のなかに鼻を押し込め、階段を上がって、高速道路のような歩道橋を再び歩いた。有料じゃないことだけが救いだ。信号ももちろんない。歩いている者はひとりもいない。今日バスを利用するのは、ぼくとおばあちゃんだけかもしれない。
 駅まで戻ってみると、改札の脇に駅員が蹲って泣いていた。どうしようかと思ったが、構内に六つもあったカフェはどれも潰れてしまって、居るところがないし、ひとまず声をかけてみることにした。
「あーんあーん」
 駅員はぼくのいることに気付いて、ますます声を上げて泣いた。
「どうかしたんですか」
 彼は、さも今この瞬間ぼくに気付いたかのように驚いた振りをしてこちらを見上げた。
「悲しいのです」
 立ち上がった彼は身長が二メートル近くあるひょろ長い大男で、身長以外には大男らしいところはひとつもなかったがとにかく背が高かった。
「何が悲しいのですか」
 見下ろされながら尋ねると、彼は駅員の帽子を脱いで胸に当て、涙を拭い、きりりと前を向いて、さあ喋るぞという顔になった。
「お客様がいなくなったのです」
「行方不明ですか」
「ああ、ああ、それならどんなによかったことか!」
 彼は帽子を顔に当ててまたわんわん泣きながら、ちらちらとぼくの顔を窺っていた。目から出ていたのはどろっとしたゼリーのようなもので、いま出てきた涙ではなく、何度もリサイクルされて少し変質してしまったものらしかった。

 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13