小説

『ふくらはぎ長者』薪野マキノ(『わらしべ長者』)

「何の鍵だい」
「私の車の鍵です。こんなもので十分にお礼ができると思ってはおりませんが、せめてもの気持ちです。駅長になったからには、私はもうこの部屋から出ることはありません。ですから私の車を差し上げます。駐車場に置いてあります。車でしたら、図書館まですぐでしょう」
「ありがとう」
「さ、これで私が駅長になったわけです、あなた様はもう駅長ではないので、この部屋からはご退散願います」
 扉から駅員が何十人と飛び込んできてぼくをかつぎあげ、すごい勢いで通路を駆け抜け、駅を出たところでぼくを投げ飛ばして去っていった。落ちた先は駐車場だった。随分と乱暴だ。鍵を落とさなくてよかった。
 車は一台しかなかった。鍵を差し込むと扉は開いた。よかった。
 車に乗って駐車場を出ると、大勢の人が駅の方へ向かっているのが見えた。駅は賑わっていた。おばあちゃんの鼻から出てきた乗客だけではなさそうだ。ずっと閉まっていた店も開いたので、街の人たちが集まってきている。もう大丈夫だろう。
 車はターミナルに入った。バスがひっきりなしに入ってきている。バスの乗客も増えたようだ。
 ターミナルを抜けて国道に入ると、歩道を走っている男がいた。燕尾服を着て、真っ白なドレスを着た花嫁を抱えている。花嫁は顔に手をあてていて、どうやら泣いているらしかった。
「どうしたのですか」
 脇に車を止めて、声をかけてみた。男の額についた蛇口からは汗がどうどうと流れ出ていた。花嫁は、両目についた蛇口からちょろちょろと涙を流していた。
「きょうはこの子の結婚式なのです、なのに遅れそうなのです、あんなにたくさんバスがあるのに、結婚式場へ向かうバスはひとつもないのです、ああなんてこと」
 ぼくは少し迷ったが、車から降りて男に鍵を渡した。

 

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