小説

『夜叉ヶ池』南平野けいこ(『夜叉ヶ池』)

 私は龍の背に乗り、揖斐川を上っていた。

 青光りするうろこでびっしりと覆われた龍の背中は、硬くてひんやりとしている。龍は水面すれすれを滑るように川の流れを遡っていく。鋭い風が耳を切る。ときどき水しぶきが顔にかかったがそれどころではない。落ちないように私は必死に龍にしがみついていた。

 激しい清流、飛び跳ねる鮎や岩魚、ごつごつした岩や草木が背後へと飛んでいく。目前には緑に覆われた深山が迫ってきている。もう民家はない。私は人間界から追放されようとしている。

 ここ最近に起こった出来事が走馬灯のように頭を駆け巡った――。何十日も続いた日照り、枯れ果てていく田畑、飢えて死んでいく村人たち。郡司である父・安次は困り果てていた。日に日に痩せて、顔色が悪くなっていく父を見ているのは辛いことだった。しかし、それは悲劇のまだ序盤だったのだ。

 追い込まれていた父はつい言ってしまったのだろう。道端の白い蛇に。「雨を降らせてくれたら、大切な娘をそなたに与えよう」と……。

 父はその小さな蛇が龍神だとは知らなかったという。村人たちも姉や妹もそう思っている。しかし、私はそうは思わない。父は薄々感づいていたのだと思う。そして、村と娘の命を天秤にかけたのだ。私はそれが悲しい。父は、父親である前に郡司だった。

 龍神は、私たちが待ち望んだ恵みをもたらしてくれた。久しぶりに降り注いだ大雨で田畑は潤い、村はぎりぎりのところで救われた。数日後、龍神は涼しげな目元をした若者の姿で我が家を訪れる。姉と妹は最初こそ若者の男ぶりに夢中になっていたが、その正体を知ると泣きながら走り去り、自分の部屋に閉じこもってしまった。
 

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