小説

『リネン』三日月響(『蒲団』田山花袋)

 さりとて、私の中ですでにアルジーの姿は出来上がっているのだからここで、とんでもなくイメージと異なる野暮なおっちゃんが現れてくれては困る。今あるイメージ像に声を重ねてみたいだけ。声は存在の証だ。
 ビデオ録画でもなく、リアルタイムで聞く盗聴でもない、たった一晩の時間をレコーダーで切り取る。うまく入っていないかもしれないし、途中で切れてしまうかもしれない。そんな心もとない不十分さが、想像上のアルジーのディテールをさらに増幅させていく。 
 私は、意外にも押し寄せる罪悪感と積み上げてきた自負やホテルマンとしての理想像が崩壊していくこの状況にどこか、快楽さえ覚えた。躊躇のない自分に驚く。
 フロントマンの指導係を5年以上続けてきた。ホテルの中に漂う優雅で気品のある空気感を醸し出すのはフロントの佇まいであり、所作だと教育してきた。
 私は、元来人間が好きなわけでもないし、ホテルマンへの憧れがあるわけでもない。ただ、世間がそうするように就活をし、決まった会社に毎日通い、言われたことをしてきた。 
 去年と同じ季節に言われたことだから翌年には言われる前にできるようになり、経年すればそれが増えていく。フロント業務の内容が驚異的に変化することなどないから〝できなくなる〟という類のことは起こりようもない。何も起きない起こさない私は年数を稼ぐだけでよかった。そんな、牙城が今、崩れ落ちた。
 私は、早朝からバックやヤードの仕事を進んで請負、アルジーがチェックアウトする時間を待った。フロントでトラブルが起きている報告はないから、≪仕掛け≫はバレなかった。私は、清掃待ちの部屋を解除して、主、退室後のアルジーの部屋へと向かった。
 いまだ生々しい吐息が漂う起き掛けの部屋には、いつもと違う匂いがこもっていた。女にはすぐにわかる女臭がしていた。今日は空気清浄をかけ、座ったままレコーダーを再生した。
・・「いいよ、これで。気に入ってるんだ。」
(ん?年齢の記載はなかったけど、割に声、若いな。気に入ってる?何が?)
「いいから同じのを買っておいてくれ。整髪料はずっと使ってるもののほうがいいんだよ。じゃあ、切るよ。」「なんであいつは、あ~なのかな・・。まったく何年俺の世話をやいてるんだ!」
 

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