小説

『リネン』三日月響(『蒲団』田山花袋)

 子供の頃、飛行機という存在に憧れていたのと変わらない程度の理由で私はホテルが好きだった。学生時代に住んでいたバブル絶頂期の1Kマンションは、先っぽが細くなった体を折り畳んで入る風呂のついた三点ユニットだった。足を伸ばして入る広い実家の湯船が恋しくなるとバイトで貯めたお金をはたいて流行りの服でも靴でもなく、一人高級ホテルに泊まることが楽しみな風変りな女子大生だった。
 今ならてっとり早く男としけ込んで、ホテルに入ることくらい高校生でもできそうだが、昭和只中生まれの私にはそんなことをする度胸はなかった。昭和10年代生まれの両親の教えは良くも悪くも呪縛のように私の人生に纏わりつき、常識とか周囲の目とか世間体を意識して生きるように植えつけられている。おかげで常にそこそこの結論しか手に入らない人生だ。
 目立たず、飛びぬけず、抑制的で強く印象に残らない。数年前、新人に〝いい人〟はどうでもいい人のことだとこれ見よがしに言われたが、皮肉にもホテル業には向いていた。
 お客と直接応対する私たちは、フロントに居て当たり前の存在だ。ときには深夜、今にも死にそうな形相で帰って来られるお客にお帰りなさいと笑顔で安心感を与え、ときには路傍の石のように何も見ず、何も聞かず一切気に掛けられることのない存在を貫くのが仕事だ。
 学生時代、無性に味わいたくなったホテルの雰囲気を毎日体感したかったというささやかな動機は、過剰な期待も希望もない分、いつかホテルに漂う優雅で穏やかな空気の一部に徹するフロントマネージャーへと成長させた。思い描いてなどいなかったけど、人生は得てしてそんなものだと悟るには十分な年齢になっている。
 シフト制のこの仕事は不規則で、朝夜が逆転するフロント担当者は早朝、仮眠をとる。仮眠室や控室に寝床が用意されていることもあるが、ここにはそんな設備はない。私たちは、お客の使用した部屋をチェックアウト後に利用する。チェックアウトから、室内清掃が入るまでの間、お客が利用した後のベッドをもう一度利用して、睡眠をとる。
 今まさに、ベッドを抜けたような体温と髪の毛の残骸を含んだ寝床もあれば、なぜか全くベッドを使用した形跡のないものもあり、昨夜、この部屋の住人だった者に何が起きたのか想像をめぐらしてしまうようなものもある。
 ある者はその他人の臭気漂うベッドの端っこに体を寄せて、出来る限りそこにあるすべてに触れないように微動だにせず眠りに落ちる技を磨き、ある者はソファーでしか眠らない。それでも固いパイプ椅子とデスクにうつ伏せて眠るフロントバックヤードよりは遥かに上質な睡眠が約束される。
 

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