小説

『リネン』三日月響(『蒲団』田山花袋)

 これまでのホテルでもチェックアウト後の部屋を使う習慣はあったが私はいつも控室の机かソファーで仮眠するほうだった。つり革を持てないとかデパートのトイレを使えないなどという潔癖性ではないが、つり革は2本指で、パブリックなトイレの取っ手はペーパーを挟んで開ける程度の〝ゆる潔癖〟だったから、見知らぬ人間の使ったリネンに触れるなど身の毛のよだつ光景だ。
 そんな私が、毎年必ず起きる≪新入社員トンズラ事件≫の穴埋めのため突然の深夜勤務になり、仮眠をとる機会を得た。あいにくフロント奥の詰所には、棚卸された商品が手違いで行き場を失い、一時的な保管場所と化し眠るスペースはおろか腰を下ろす場所もないほどの早朝だった。仕方がなく端末を叩いて、チェックアウト間もない部屋をキープし、恐る恐る仮眠に向かった。
 ツインルームのシングルユースだったその部屋には、時代遅れの整髪料の匂いが半開きにされたバスルームのドア奥から漏れていた。おかげで昨夜のビール缶からの臭いも気にならなかった。(結構年配の男性だな・・)
 一夜過ごした部屋の割にはどこか整然としている様や強めの整髪料の匂いは年齢を想像させた。私は余計なものが目に入らぬように、最低限の灯りをつけ制服の上着をかけた。
 起き抜けの掛布団は、メイキングが少し崩れている程度できちんと整えられ、入室時にベッドの上にしつらえてあるサテンのクッションは、ソファーにきちんと並べられてあった。
 掛布団を強く引いてメイキングされたシーツを完全に崩して、冷やかなリネンの中へと滑り込んだ。口元近くにくる掛け布団を包む上質のホテルリネンからあの日、父の初七日の夜に嗅いだ父親の洋服の臭いがした。この懐かしさというか、親しみ感は父のことを思い出したせいか、最近気になる女の加齢臭が自分にも纏わりついていて、すでに違和感がなくなっているせいなのか安心感さえ覚える匂いだった。
 すべらかなサテンのような肌触りのリネンを鼻先に引き寄せながら、ストッキングの足先をリネンにまとわせるように伸ばして、深く息を吸い込む。
 大学のラグビー部室のようなオス漲る臭いではなく、枯れかけの芝生のように、静かに顏を近づけると幽かに自己主張するオスを感じる。夢現のまま時間が過ぎた。過去の情事を思いだしたわけじゃないし、夢現で欲情したわけじゃないけれど私の中心はひさかたぶりに濡れた。
 

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