小説

『リネン』三日月響(『蒲団』田山花袋)

 目覚まし時計の音に手を伸ばし、客室の電話がなっていることに気が付いた。「チーフ、大丈夫ですか。そろそろ清掃いれますけど。」フロントからだった。
「ごめん、ちょっと風邪かな。体がだるくて。すぐ降りる。」咄嗟の嘘と見えるはずのない醜態にたじろいだ。
 フロントは当日分のチェックアウトがほとんど終了する時間で、わずかにゆるんでいた。後ろから「部屋の処理しておきましたんで。それにしても珍しいですね。」サブマネだった。
 自分で処理しようと思っていた。次回のためにあの部屋の〝主(アルジー)〟の名前を確認し、遡って宿泊データーを見てみようと思っていたのに。
 今後、私がキープする部屋が同じ客のものだと気が付くだろうか?
 サブマネの記憶力の良さに若干不安がよぎるが、万年サブマネの彼の勘の鈍さには定評があるから大丈夫か。
 アルジーは1~2か月に1度のペースでコンスタントに利用する常客だった。ここ1年程同じペースで利用しているが、私のシフトが外れる日の滞在がほとんどで、一度も対応した記憶がない。
 先月のイレギュラーな深夜勤務とシフトの崩れた昨晩で姿なきアルジーの存在を確かにつかんだ。今後は部屋の確保は確実にできる反面、ニアミスを絶対に避けなければならない。 
 アルジーは姿なき存在であり続ける必要があるからだ。
 私は、アルジーの直近の宿泊日程を分析して、危険な曜日のシフトは、不条理なパワハラを駆使してチェックイン業務から外れた。
 アルジーは今月も予約を入れていたから、当然私のシフトもそれに合わせて、問答無用で強制的に変更した。
 人の欲は計り知れない。
 私はだんだん増幅していく欲求を抑えられなくなっていた。
 数回アルジーの部屋を仮眠部屋に指定して、残香としけこんでいるうちに満足していたはずの≪鵺の存在≫を確認したい衝動に駆られた。
 アルジーの声が聴きたい。私は、刑法を犯し同時に、培ってきたささやかな自負を手放すことにした。
 ホテルではお決まりの聖書が鎮座するナイトテーブルがある。その下あたりに薄型のもの、滞在中いつも利用しているであろうアームチェアの近くにペン型のものを、バスルームのメディスンケースの上の都合、三か所にICレコーダーをセットした。
 滞在は基本的には1人のはずだから、誰かとの会話を聞きたいわけじゃない。これまで姿なき残香でインスパイアーされてきた性衝動は、ついに存在をとらえたいという欲求を呼び起こしてしまった。
 

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