小説

『三年目の彼女』近藤いつか(落語『三年目』)

 美人であるがゆえに僕の想像できないような人生経験を積んで、彼氏の前で鼻をほじれるような荒くれ者の性格になったのか、もともと彼氏の前でも平気で鼻をほじれるような性格だったのか、僕は未だに判別できない。
「亜子さん、聞いて。前から言おうと思ってたけど、人前で鼻をほじるのはよくないよ」
 僕の言葉を聞いて、亜子さんの小指はさらに深く鼻の中に入ってゆく。
「……そういうところのホントに良くないよ。亜子さんもうすぐ二十五歳でしょ。亜子さんはただでさえ目立つんだから、もっと人の視線をきにしたほうが―――」
「あ、わたしサバ読んでたから今年で三十だよ」
 思わず、水をふきそうになった。一個上と聞いていたのに実際は六歳上。むしろ僕より若いのではないかと疑っていたから、気が付かなかった。
「サバを読むの語源ってなんだろうね。サバイバルの先を読むかな砂漠の―――」
「魚の鯖は傷みやすいからざっくり数えて素早く売ったんだ。だから後で数えたら数があわなくて―――」
「正しい答えが正解だと思うなよ」
 そう言って亜子さんが僕を睨みつける。いけない、また亜子さんのペースになっている。今日こそはちゃんと言わなければ。
「とにかく、女の人は鼻をほじらないし、あぐらをかかないし、ジュースを飲むときぶくぶくしないし、道端でカラスとケンカしない」
 突然、ゴンという衝撃音がきこえた。亜子さんがテーブルに突っ伏して、おでこをしたたか打ったらしい。
「みんな、わたしの顔しか愛せないって去って行った。お前もか」
「そうじゃなくて。……亜子さんはありのままの自分を愛してほしいと思っているみたいだけど、ありのままでいることと傍若無人にふるまうのは違うことだと思うんだ。公共の場で鼻をほじったりすると人に嫌がられるし」
「お前はわたしが嫌いか」
 亜子さんが潤んだ眼で僕に問いかける。チワワですら参りました、とひれ伏すほどの可愛さに心がぐらぐらする。まっすぐみつめる瞳にもうそんなことどうだっていい、と思わず抱きしめたくなる。
「嫌いかなのか」
 ぐっとこらえる。これは亜子さんのためなのだ。
「このままだと嫌いになる」
 亜子さんはそのあともテーブルに突っ伏したままで、お気に入りのチョコレート納豆イカ明太子パフェが届いても身動きせず、店員が閉店ですと告げに来た時にようやく、蚊の鳴くような小さな声で分かった、といった。
 

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