小説

『三年目の彼女』近藤いつか(落語『三年目』)

 それから間もなく亜子さんの闘病生活が始まった。
 亜子さんは三十七℃の微熱のときも、もうこの世の終わりだと騒ぐような人なので、今回もそのたぐいだと思っていたら、違った。
 頭の悪い僕は病院に行けば、昨日より今日、今日より明日、体調が良くなるものだと信じていたけれど、亜子さんは日に日にやせ衰えていくばかりだった。
 僕はただただ、おろおろすることしか出来ず、亜子さんは僕が病院に来るたび、布団を頭からかぶってまともに顔を見せてはくれなくなった。
 布団に埋もれて、うー、という唸り声が聞こえてくる。
「気持ち悪い」
 慌てて洗面器を差し出すと、そうじゃない、と叫ぶように亜子さんは言った。
「わたし自身が気持ち悪いんだ。お涙頂戴の映画が嫌いなのに。恋人の片方が死にかけてる映画なんて、陳腐でダサくてありきたりで、そんなんで泣かせようとしている映画なんてくだらないとおもっていたのに、永遠の愛を誓うだなんて設定鼻で笑いたいのに、お前には浮気してほしくないとおもっている」
 僕は亜子さんの叫びを黙って聞いた。
「お前、私が死んだら、ほかの人と一緒になるんだろ」
「亜子さんは死なないよ」
「ほかの人と一緒になるかと聞いているんだ」
「ならないよ」
「嘘だ」
 亜子さんが身体を起こしたが、器用に顔を見せてはくれない。ご自慢の厚い唇だけが見えて、布団のオバケと話しているみたいだ。
「浮気したら許さん。化けて出てやる。女の手を触っただけで幽霊になって、きっかり午前零時になったら邪魔してやる」
「いいよ。亜子さんの幽霊なんて怖くないよ」
 そう言って亜子さんを布団ごと抱きしめた。
「……おそ松くん」
「はい?」
「おそ松、カラ松、一松、十四松、トド松……あと一人誰だ」
「誰って、思い出せないよ」
「じゃあ思い出しといて。ウィキペディア使ったら許さん」

 

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