小説

『桜木伐倒譚』大宮陽一(『ワシントンの斧』)

 ねえ、おばあちゃん。
 あのときどうしておばあちゃんはおばあちゃんの大切な昔話をまだ幼かった僕に話してくれたんだろう? その理由を僕がおばあちゃんに聞くことはなかったけれど、この話を思い出すたびに、僕にはおばあちゃんのことや、僕の知らない桜の木を伐った高祖母の気持ちまでもが押し寄せてくるような気がするんだよ。
 なにか気の利いたコメントを付け足すのがこうして弔辞を読ませてもらう僕の役割なのかもしれないけれど、僕には適当なことばが思いつきません。
 話していれば、こんな話をいくらも話せると思うのだけれど、おばあちゃんが他の孫と話す時間も必要だろうし、ここではそろそろ僕の話を結ぼうと思います。
 ここにいるすべての参列者には何かしらおばあちゃんの物語があるはずです。是非とも他の孫からも話を聞いてみてほしい。きっとなかには僕の話を聞いて、気分を害した者もいると思うんだ。「ミツオ、おまえなど睦子ばあちゃんの財布からお金を盗んだ話をした方がよっぽどおまえらしいぞ」だとか、「睦子ばあちゃんの風呂に入る姿をインスタントカメラで撮影して大量に複製し、友だちの鞄に入れた話をしなくちゃおまえの話にならないだろう」と主張する孫たちもいると思う。だけど、僕にとって睦子ばあちゃんとは僕と睦子ばあちゃんの出来事のなかにいるその人だけではなくて、桜の木の向こう側、坂道を駆けている少女の姿でもあるんです。
 睦子ばあちゃん。僕のなかに生きる幼い睦子ばあちゃんの姿を僕は死ぬまで失うことはないと思う。
 布団の中から孫の姿を探していた睦子ばあちゃんのおばあちゃんがそうであるように、僕はこの話のなかに睦子ばあちゃんを見て生きて行こうと思います。

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