小説

『桜木伐倒譚』大宮陽一(『ワシントンの斧』)

 と、書き終われば、私は眠りに落ち、次に目が覚めたのは、約束の十一時をとうに過ぎていた。
 貴志くんからの電話が鳴っている。
「みいくん。今、どこにいる?」
 寝ぼけた私が家にいることを伝えれば、甥のヤストシが駅に迎えに行ってもおじさんがいないと訴えてきた、と貴志くんは説明を付け加えた。
「今さら、遅れたことを咎めても仕方がないけれど、いったい何時になったら来られるんだ?」
「なあ、貴志くん」
「なに?」
「チェーンソーなんだけどさ」
「まだそんなこと言ってるのか? ふざけたヤツだな。葬式はもうすぐはじまるんだぞ!」
「うん」
「うんじゃないだろ! 葬式だ!」
「なあ、貴志くん。だから、その葬式のことなんだが、僕は今仕上がったばかりのチェーンソーで桜の木を伐るところなんだ」
「まったく! 馬鹿を言うのも休み休みにしろ! いいか、これが最後だぞ。ジェイソンが切るのは人間だろう。そんなところでチェーンソー振り回してないで、早くこっちに来い!」
「いや、ダメだ。僕は桜の木を伐るんだ」
「葬儀はどうするんだよ?」
「だから、葬儀に決まってるだろう。いいか、こっちはずっとずっと忙しいだ。悪いが、もう切るぞ!」
 昨日とは反対に、今度はこちらから電話を切ってやった。受話器を戻すまで私を呼び止める声が聞こえていた。
 私の想いや葬儀の意味が貴志くんに伝わる必要なんてあるものか。いつもなら相手に通じるように自分のことばを翻訳し、嘘でもなんでもついて寝過ごした言い訳をするところだろう。しかし、そんなことをする気は毛頭ない。
 私は一晩のあいだ泣き通しだった。ずいぶん久しぶりに泣いて、目はぱんぱんに腫れている。何度となく書いた祖母との思い出話を弔辞の本文から削り取り、すべてを胸にしまい込むのに一晩では到底足りるはずもない。いい年をして何を、と自分に言い聞かせてみるものの、人の死を前にしていい年も何もあるものか。
 

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