それ以来、睦子少女は学校帰りに必ず寄っていた祖母の寝室に入ることもなくなった。宿題を家の囲炉裏端で片付けるとすぐにも畑仕事をしている両親のところに出て行く。祖母は、自分が部屋に遊びに来るのを楽しみにしていると幼心に理解していたけれど、決して祖母の部屋に入ろうとはしなくなった。
あたたかくなるにつれ激しく咳きこむようになった祖母が死んだのは、たしかその年のことだった。春が終わり、夏が来て、秋になると木の葉が落ちる。それは冬になる前のことだったんだよね。
春に桜の木を伐り倒してから、すっかり病室に入らなくなっていた睦子ばあちゃんが祖母と和解する前に、祖母は死んでしまったわけだ。おばあちゃんのなかで桜の木を伐った祖母へのわだかまりは消えてはいなかったけれど、幼い少女が生まれて初めて経験する肉親の死は悲しみにあふれたもので、睦子ばあちゃんは葬式の席で声を上げて泣いた。そして、泣いている娘にお父さんが声をかけた。
「睦子、おばあの一番の楽しみを知っているかい?」
「なあに?」
「おばあは病気で床に臥せってからというもの、おまえが毎日学校から帰って来る姿を寝床から見るのが一番の楽しみだったんだよ。だから、桜の木が花をつけ、坂道の視界を遮ってしまう前に伐り倒したんだ。おまえの姿がちゃんと見えるようにね」
父のことばが睦子少女にそれ以来長く残ることになったのは言うまでもない。少女は父のことばを思い出し、人生の端々で自問することになった。自分が祖母に冷たくしてしまったことをどうしたら取り返せるだろう? と。
幼い女の子には拭えない後悔と共に、自分を深く愛してくれていた祖母の想いが残った。庭に植えられた桜の切り株をみるたびに睦子ばあちゃんは、死んでしまった祖母の姿を思い出し、年月のながれを受けて腐り黒ずんでいく年輪に重なるように自身もまた年を重ね、結婚して生家を離れたあとも帰省するたびにかつての桜の木の場所で祖母のことを思い出した。