小説

『サルとカニの向日葵』渡辺恭平(『猿蟹合戦』)

「どうして?なんでわかるのよ、そんなこと」
 エサ。探偵は時として釣り師にもならなければならない。大物を吊るにはそれ相応のエサが必要なのだ。ただそのエサが特別なものでなくてもよい。相手は娘であり、小学五年生になろうとしている小娘なのだ。このくらいでちょうどよい。千恵子はまな板と包丁でリズミカルに音を立て、真紀の様子をうかがった。
 テレビを見ているようで考えている。母には分かる。手に取るように。千恵子は真紀の口が開くのを待った。
「梨華ちゃんとむりやり交換したの。私の種と。私の方が大きいからって」
 深刻そうには言わなかったが、言葉の端々に怒りがこもっているのは千恵子にも理解できた。梨華ちゃんは、適切な表現かどうかはわからないが、女の黒い部分で化粧をしてしまっている女の子なのだ。男子の前ではしおらしく、女子の前では我一番といった風な態度でいてしまう、きついしっぺ返しが来るのも時間の問題、といった子である。むろん、真紀と折り合いがいいわけではない。
「へぇ。そうなの。大丈夫よ、種は大きさなんて関係ないから」
 真紀は笑った。果てしなく乾いた笑いだった。それがテレビに向けていったものか、何も知っていないくせに知った口で言う母親にたいしていったのか。こんなもの、考えなくてもわかる。
 あぁ、今夜のカレーの味は濃いな。千恵子はまな板と包丁を流しに置き、熱した鍋で調理を始めた。

 日に日に黒くなるのはわかっていたが、やっぱりそうなった。
 夏休みを目前にして、わが娘真紀はコオロギのように黒くなっている。内気な子ではないのは嫌でも知っている。面倒な性格を持っているだけで、アウトドア派なのだ、この子は。
洗濯機では落ちない頑固な土汚れが付いた真紀の靴下を集め、千恵子は桶の準備をした。手洗いだ。ファッションに気を付けてくれるのは大いにかまわないし、母親としても我が子の成長としてうれしいものなのだが、もう少し足元を見てほしい。
 そんなことを言ってもどうせ聞いてくれないだろうな、と誰もいない家で愚痴りながら、千恵子はせっせと真紀の靴下を洗った。
 日記も、相変わらず黒くなっている。コオロギのように美しい音色を奏でてくれればよいのだが、書かれていることはお経や念仏を唱えながら読まなければならない少女の生々しい本音だった。
 

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