小説

『サルとカニの向日葵』渡辺恭平(『猿蟹合戦』)

 どうにもならなければいいのに。千恵子はそう思った瞬間に、またため息をついた。こういった態度がいけないのだ。これを母親が続けてきたからこそ、いまこうしてあの日記が生まれてしまったのだ。
 それでも、千恵子は靴下を洗い終え、夕食の買い物の準備をすることにした。考えたところで、どうにかなるわけでもない。深みにはまっていくだけだ。
 ただ心配なのは、真紀も梨華ちゃんも子供なのだ。大事にならなければいい。
 それだけだった。

 どうにかなってしまったのを知ったのは、日記の更新がなくなって一週間とたったころだ。何事もなく終わっただろうと安心しきっていたところに、一番最悪なかたちで知ってしまうとは、さすがに探偵千恵子も予想だにしていなかった。
「はい。わかりました。どうもご迷惑をおかけしました。はい。はい、娘の方ははい、大丈夫そうなので。はい。ありがとうございます」
 先生との電話会談を終え、一息つく。疲れ切った、その一言で今の気持ちを表すことができる。それでもまだ部屋にこもりきった娘の背を想像するだけで、肩の荷がぐっと重くなった。
 梨華ちゃんのヒマワリの種が芽を出さなかった。それが今回の事件を荒立てた。芽がでなかったのは種がわるい。だから私のひまわりを返せ、と梨華ちゃんは真紀に言い放ったのだ。的を得ているようでかなりずれた発言だ。だが不思議と梨華ちゃんなら言ってしまうな、と納得してしまう自分もいる。こうなることは無意識的に予想していたのかもしれない。
千恵子が驚いたのは、真紀が梨華ちゃんにたいして日記で書いていたことを金切り声で暗唱したことだった。あの真紀が。とありきたりな言葉が喉からするりとでてきたほどだ。千恵子だけでなく、先生も、梨華ちゃんも驚いたであろう。
 ただこれだけなら、やりすぎたにしろただの喧嘩で済んだのだが、時期を悪くして梨華ちゃんに大きなしっぺ返しがきてしまった。今回の件でクラス中から無視をされるようになってしまったのだ。日ごろの悪態に真紀だけでなく、皆の我慢も限界をこえたのだろう。
 そして、梨華ちゃんは学校に来なくなった。
 

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