小説

『サルとカニの向日葵』渡辺恭平(『猿蟹合戦』)

 千恵子は小さく、本当に小さくヒマワリにお礼を言った。どうして言ったのかはわからない。それでも、口から、心から、勝手に零れ落ちたのだ。
 みんなのものより一回り大きなプラカードには二人分の名前がカラフルなマジックを使って賑やかにえがかれている。決して十分なスペースがあるわけでもないのに、詰め込むように二人は名前をそこにかいたのだ。それだけで二人で一生懸命に育てたことがうかがえる。
 汗となにかが千恵子の化粧を残酷にはがす。今日の学級園が閑静としていてよかった。汗が垂れるほどの日差しでよかった。真紀が私の娘でよかった。
 千恵子はヒマワリを見上げた。
 真紀は必死にハッピーエンドにしようとしていたのだ。日記に愚痴を吐きながらも、その気持ちを誰にどう伝えばいいのかわからないままに。結果真紀にとってサルカニ合戦のような苦い経験をむかえる。
 それでも。
 真紀は、娘は、私の娘はカニではなかった。仕返し、それだけで終わった彼らではない。梨華ちゃんを助けにいった、誉ある少女だ。自分の気持ち一つ言えなかった少女が、嫌いな子に手を差し伸べる。シャーロックホームズならば推理できたかもしれないが、二で割った千恵子の推理力ではよめなかった。
 千恵子は自分が探偵でも釣り師でもないことを認めた。日記を隠れ読むくらいで娘のことを知ったつもりでいた自分を少し恥じた。
 真紀は母親の知らないところでまっすぐに芽を出して、力強い茎で風をしのぎ、地面にしっかりと根を張っているのだ。千恵子が抱いていた心配の種は、とうに枯れていた。真紀は大きく美しい華を咲かせる。本人は気づいていないかもしれないが、母親はわかっている。真紀の母親がそういうのだ、間違いない。この千恵子の推理力にはシャーロックホームズでさえ帽子を脱がなくてはならない。
 ヒマワリは太陽に向かって大きな花を咲かせていた。肌を刺すような日差しも、彼らにとっては大事な栄養なのだ。
 

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